高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 大阪城の片隅で戦争の爪痕を見つけながらランニング

8月16日日曜日、お盆休み最終日。
3日間のお盆休みを利用して地元・岐阜に帰省したものの、結局、何もしないまま、実家で食っちゃ寝のダラダラ生活を貪ってしまったので、「このままではデブになる!」と思い立ち、帰阪してすぐにランニングに出掛けた。
今回も、大阪市在住の市民ランナーの聖地のひとつである大阪城へナイトランニング。
こういう風に「走りたい!」と急に思い立ったらすぐに行ける気軽さがあって、8月に入って行くのは3回目。
外は小雨が降っていた。
結局、汗だくになるのだから、雨に濡れたってへっちゃら。
久々の小雨が降る中のシャワーランだ。
暑さよりは全然マシで、むしろ気持ち良い・・・ハズだったが、湿度100%で汗だか雨だかで全身ズブ濡れの濡れ鼠になり、なかなかペースは上がらなかった。
外周を2周、内周を1周して約13km走って、いつも通り大阪城下の石垣でひと休み。

時は、8月15日終戦記念日の翌日。
日本国民が年に1回、70年前の戦争は何だったのかを1番考える時期だ。
歴史に疎い自分も、さすがに今年はNHKの重厚な内容の戦争関連番組を観て、8月14日の戦後70年の安倍談話をリアルタイムで聞いて様々な有識者による見解を聞き、8月15日正午には日本武道館の全国戦没者追悼式参列の方々や高校野球甲子園球場にいる高校球児や観客と同様に1分間の黙祷をして物思いに耽った。
そして、ここ大阪城にも、戦争の爪痕が残っているということをこの程知って、真っ暗で誰もいない大阪城の下の石垣をウロウロと探してみた。
傍から見ればかなりの挙動不審なのだが、東側から大阪城まで行く経路から少し外れた石垣の下にそれを見つけた。

真っ暗で上手く案内板の写真が撮れなったので、日中に撮られた写真が以下。

大阪城山里丸石垣の表面に残るこの傷は、第二次大戦末期の空襲による機銃掃射痕だそうだ。
1945年(昭和20年)3月から終戦前日の8月14日まで、大阪もその他の都市と例に違わず、8度も大空襲を受け、陸軍の中枢機関や軍事工場があったここ大阪城も標的になったそうだ。
大阪城と言えば、戦国時代、安土桃山時代を生きた豊臣秀吉の歴史をまず思い浮かべるが、こんな片隅に近代の戦争の歴史も残っているとは知らなかった。


今日は、観光客はもちろん、大阪に住んでいる方でも気づかないであろう、知る人ぞ知るスポットと歴史を知れて良かった。慣れたコースでも、こうして目線を変えれば新鮮なものに気づいて刺激があることを再認識。
そして、今日も良い汗をかけて、明日からまた元気に仕事を再開できそうだ。
最後に、こうして平和な日本で自分の好きなことに没頭する事ができるのも、戦後の焼け野原から素晴らしい復興を果たしてくれた戦争経験者や、日本のために戦って尊い命を戦場で散っていかれた戦没者の方々のおかげ。
いまだに世界の中には、紛争や貧困などで普段の生活や安心がままならず、「自分の趣味を楽しむ」などと悠長なことを言っていられず、1日1日を生きていくだけでも精一杯な余裕の無い方々がたくさんいる。
今の自分は何の不安もなく生きることができ、こうして趣味に勤しむことができていられるだけでも幸せなことだということを再認識しながら、戦争で亡くなられた御英霊(ごえいれい)の御霊(みたま)に感謝すると共に、ご冥福を祈って合掌。