高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 大阪マラソン:仮装してフルマラソンを初完走!

10月25日日曜日、いよいよ大阪の一大お祭り、「大阪マラソン」当日。
3年連続でこの日を迎えられた幸運を幸せに思いつつ、午前6時過ぎに起床。
堺筋本町の自宅からすぐそばの大阪城がスタート地点という好立地の場所に住んでいる事もあり、安心して家でゆっくりし過ぎてしまい、たくさんのランナーがスタート地点の大阪府庁前の道路に向かう大阪城公園内を逆行して荷物運搬用トラックが待機する大阪城公園森ノ宮駅側に到着したのが、荷物預かり期限の午前8時の15分前。
たくさんのランナーでごった返している中、慌だたしく着替え始めた。
今回、3回目の大阪マラソンを走るにあたって、かねてより決めていたことがあった。
3回目なので、もはや大阪マラソン自体に新鮮味は無いし、家を出てから帰宅するまでの流れや勝手を全て把握している。
タイムを狙ってもいいが、この後に出場予定の別大会でもできるし、先週102kmを走っていてタイムを狙えるコンディションでも無い。
フルマラソンは完走が当たり前に思えるくらい走力が身に付いた今、ただ単に走っても自分にとって何の意味を成さない。
そこで、今回は、

スパイダーマンの全身タイツ仮装でフルマラソンを完走する!

というバカで無謀な目標を掲げた。
今年5月に地元で開催された「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」では、初めてこのスパイダーマンで仮装ランナーデビューを果たし、余裕を持ってハーフマラソンを完走できたものの、フルマラソンを走るのは初めて。
そんなバカな挑戦を決めて以来、大阪マラソンの日が近づいて来るにつれて、思い出す度に「あんな格好をして走り、もし完走出来なかったらカッコ悪いだろうな・・・」という恥ずかしさと心配で心がソワソワしていた。
直前までこの蛮行を決行するか否かを悩みに悩んでいたのだが、
「チャンスは今しかない!やらなければ、絶対後悔する!」
と自分に言い聞かせ、予定通り、決行することに決めた。
朝、家で上半身までスパイダーマンタイツを着込み、上にジャージを着て目立たないようにしてスタート地点へ向かった(全身タイツを着るとトイレに行き難くなるので、家で完全に出すものは出しておいて)。
この全身タイツ、伸縮性があって気安く、身体にぴったりなサイズなので大変走りやすいなのだが、唯一、欠点がある。
それは、1人では背中のチャックを締められないことだ。誰かに背中のチャックを締めてもらわないとみっともない事になる。
同じく大阪マラソン出場予定の知り合いの方とスタート前に合流してチャックを締めて頂く予定だったのだが、ランナーとその関係者でごった返している上に荷物預かり締切時間が近づいていた事もあって、結局、お会いできず、急遽、荷物預かり期限の8時直前に、荷物預け用トラックの近くで案内をしていたボランティアの方に恥を忍んで事情を説明して、「凄いですね・・・」と呆られ苦笑いをされる中、背中のチャックを閉めてもらった。
チャックを閉めてもらい、スパイダーマンマスクを被るまでは、周りの目が気になってかなり恥ずかしかったが、「二度と会わない人間に何を思われても構わない!」と割り切り、無事、スパイダーマンコスプレに着替えられ、スタート準備完了。
たまに外国人ランナーから記念撮影を頼まれながら、スタート地点である、大阪府庁前のDブロックの列に整列完了。
スタートの9時までこの格好でじっと待機しているのが恥ずかしくてたまらなくて、今か今かとスタートを待つ。

そして、午前9時、大阪マラソン、いよいよスタート!
休みの日にわざわざ時間を使って、我々ランナーの応援のために沿道に来てくれた方々やボランティアの方々に楽しんでもらうためにも、あえて沿道側をゆっくり走ったのだが、さすが、スパイダーマンの人気は予想以上に凄かった。
老若男女、誰もが知っているインパクトのあるキャラクターなだけあって、42.195kmを通して四方八方から沿道やボランティアの方々から名指しで応援をしてくれた。
特に、沿道の子供達が「スパイダーマンだ!」と親と共に喜んでくれて、小さな手を振ってくれたり、ハイタッチするために手を出してくれたりするので、嬉しいあまりに声がかかる度に手を挙げて「ありがとう!」と応えたり、ハイタッチに応えたりして走り続けた。
周りのランナーから「スパイダーマン、大人気ですね!」と声が掛かるくらい、沿道の応援を独占してしまっているような気がして、少々やり過ぎではないかと不安になるくらいだった。
沿道で応援してくれた方のほとんどは、この姿で走っている自分に驚いて、
スパイダーマン、頑張れ!
暑い中、大変やろうけど、頑張りやー!
と応援してくれたり、スパイダーマンのお馴染みの手の平から蜘蛛の糸を出すポーズをするので、自分もそれをやり返して笑い合ったりした。
その他にも、
そのタイツを脱げば、もっと速く走れるやろ!
手から糸を出して飛んで行けばいいやん!
と、大阪らしい大変ごもっともな鋭いツッコミを入れてくれたり、
ウルトラマン、頑張れ!」「いやいや、スパイダーマンやし!
と沿道の方々同士でツッコミ合っている応援もあって、マスクの下でかなり笑っていた。
特に嬉しかったのは、
USJに行かんくても見れていいわ。ありがとう!
カッコイイよ、男前!
楽しませてくれて、おおきに!
と、こんな格好でフルマラソンを完走しようとしている試みを褒めてくれたり、御礼を言ってくれたのには感動して、マスクの下で涙が出そうになった。
そして、レース自体はというと、年に1度のこの日だけ、前半のハイライト、大阪のメインストリート・大動脈である天下の御堂筋のど真ん中を堂々と走る事ができる幸せを噛みしめながら、道頓堀のグリコの看板の前を走るスパイダーマン
大会側のカメラマンに撮ってもらったこの写真、思い出になりそうだ。

北浜の辺りでは、後ろからスーパーマンのコスプレをした方に声をかけられ、片町の折り返し辺りまで一緒に走った。沿道から見たら、アメリカの2大ヒーローが揃って走っているという大変面白い光景だったであろうと推測する。

中之島中央公会堂の前を通り、大阪市役所を左折して、再び御堂筋を今度は南下する。


難波の交差点で御堂筋とお別れして、次は京セラドーム大阪へ向かう。
九条の松島の辺りで折り返して、京セラドーム大阪の前で中間地点に到達。
この姿で21kmを過ぎて走るのは自身初だ。
ここまで調子に乗って沿道の応援に全て応えてきたが、21kmしか走っていないのに、想像以上に体力の消耗が激しい。果たして体力がどこまで続く事やらと不安になって来た。
京セラドーム大阪をバックに走るスパイダーマン。こちらも良い思い出になる。

25km手前の恵美須町通天閣を折り返す。ランナー達にチラッとでも通天閣を見せようと設定したかなり強引なコースだ。

25kmを過ぎると、ゴールの南港まではほとんど何もない退屈なコースで、精神的にも体力的にも辛くなる。
終始途絶える事のない沿道の応援に調子に乗って応えていた自分も、30km前後の西成区玉出の交差点に到着下頃には体力が尽き始め、徐々に辛くなってきた。
昨年はスタートから暑くて大変なレースになったのだが、今回は快晴で日差しがあったものの、気温はそれ程高くなかったので、全身タイツで走っても心配していた暑さは大した事がなかったのだが、沿道の応援に応えるとこんなに体力を使うことになるとは予想外だった。
まさに文字通りの「人気者は辛い」だ。
ここまでゆっくり走っていたものの、更にペースは落ち始め、マスクの下は疲労困憊で苦悶の表情。ただ、そんな状態でも沿道の応援には空元気で応えて走る。
33kmにはまいどエイドというのがあって、大阪市の24区の机がズラっと並び、その区の名物をランナー達に振舞ってくれるのだが、ランニング中に固形物は避けているので、ボランティアの方々の嬉しい応援にだけ応えて何も食べず。
37km過ぎ、この大会で最大の難関と言われている南港大橋にやって来た。
ただ、これまで経験してきた数多くのマラソンでの坂に比べたら大した事は無いので、こんな姿でも頑張って走る。この坂での「スパイダーマン、頑張れ!」は嬉しくて元気をもらえた。

40km地点に到達。


そして、ゴール直前は、ここまでより更にスゴイ沿道の応援になり、テンションが上がって疲れがなくなった中で、無事、スパイダーマンコスプレでフルマラソン完走達成!



沿道の方々の盛大な応援のおかげもあって、何とか完走できたものの、後半は体力が尽きてしまって余裕が無くなって気の利いた対応ができなくなり、走った後は「せっかくの貴重な機会だったので、ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔ばかり。
完走直後は「無謀な挑戦だった。もう2度やらないでおこう。」と思ったのだが、今では「良いタイミングがあったら、今度はあの姿でもっと余裕を持ってフルマラソンを完走できるように走力をつけよう!」と思うようになった。
やはり、苦しみというのは時間が経つとすぐに忘れてしまう。また新たな課題ができた。
そして、今回の「全身タイツの仮装でフルマラソン完走!」という実績は、自分史上の新たな「伝説」となり、今後の人生への大きな自信(と笑い話)ができた。
こんな自分でも、仮装をして走る事で束の間のスポットライトを浴びて、たくさんの声援を浴びる事になる。
ラソンにはこんな楽しみ方もある。やっぱり奥が深い。改めて楽しさを再認識できた。
今回のこの経験で、ただでさえ楽しいマラソンの新たな楽しみ方を発見してしまい、今後、更にのめり込んでいき、どんどん「変態」になっていくであろう自分が怖い。
3回目の大阪マラソンは、新たな楽しみ方を知ることができたと共に、来年のこの時期には大阪に恐らく住んでいないので、約10年間、大変お世話になった大阪の地に自分なりの感謝の意を示せて良かった。