高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 大田原マラソン:制限時間4時間内の完走という最高の誕生日プレゼント

11月23日、2015年最大の挑戦となる「大田原マラソン」当日。
駅前のホテルを出て、那須塩原駅前からスタート及びゴール地点となる大田原市美原公園陸上競技へ向かった。
天気は曇天なのだが、今にも雨が降り出してきそうな天気。
県北体育館のメインアリーナに荷物を置いて陸上競技場内のトラックに向かうと、たくさんのランナーが熱心にアップをしていた。
さすが、制限時間が『4時間』という競技性が高くて本気でタイムを狙っている(ガチな)ランナーが集まる大会だ。
これまで出場してきたエンターテイメント性が高い都市型マラソンなどとは雰囲気が全然違う。
仮装ランナーはおらず、ランニングシャツ&ランニングパンツのランナーばかりで、周りのランナーがみんな自分より速いランナーに見える。自分は制限時間ギリギリでの完走を狙う走力しか持ち合わせていないので、間違ってはいないのだが・・・


トラック内には、NHK BS1で放送されている唯一のランニング専門番組「ランスマ」のTVスタッフがいて、その中心には、元陸上競技選手で今は有名指導者で、ランナーであれば誰もが知っている金哲彦さんがおられた。
金さんは、約1年前に「この大会でサブ3(3時間以内でのフルマラソン完走)を達成する!」と宣言され、様々な大会に出場され、練習をされてこられたそうだ。
50歳、しかも過去に大腸癌を発症して克服された身体でサブ3なんて考えられない。


自分のスタート位置であるDブロックに整列。
直近のおかやまマラソンでは4時間2分という完走タイムだった事もあり、日が迫るにつれて不安が募るばかり。
初めてのフルマラソンの関門タイムアウトも覚悟して臨んだものの、ここのところのマラソンの連戦で疲れが溜まっている自覚や怪我も無く、これまでの練習の成果を十分に発揮できる万全の状態でこの日を迎えられる事が出来た事がまず嬉しかった。

午前10時、大田原マラソンスタート。
いよいよ始まってしまった。どうなることやら。
Dブロックなので、自分のような制限時間4時間ギリギリの完走を狙うランナーにとっては、スタートラインを通過するまでのタイムロスがとても心配だったのだが、出場ランナーが約4,000人であったこともあって、スタートの号砲から1分しかロスしなかったので、ひと安心。

最初はトラックを4分の3周して、大田原市街のコースへ飛び出す。
他の都市型マラソンで見られるようなスタート直後の大渋滞も無く、スタート直後から予定していたペースで走られ、こちらもひと安心。

自分としてはハイペースの5分/kmで順調に10kmまで走ると、遂に雨が降り始めた。
この秋に出場したマラソンでは幸運にも好天に恵まれたのだが、この後もゴールまでずっと雨、そして風というコンディション。
この勝負レースでこれはついていない・・・
と思ったが、暑いよりは走りやすかった上に、「こんな雨に負けるか!」と逆に燃える性質(たち)なので、自分にとってはこれが恵みの雨となった。

コースは、ランドマーク的な建物は皆無で、終始、殺風景な田園地帯の道路を走る。
その上、雨というバッドコンディションの為、走力だけではなく、精神力も試される展開に。
「絶対に完走する!」という強い覚悟が無いと、いつ心が折れても歩いてしまい、タイムオーバーになってもおかしくない。これは序盤からサバイバルの様相を呈してきた。

20km手前でこの大会唯一の折り返し地点。
すれ違うランナーの顔を見ていると、へらへら笑って話しながら走っているランナーも、もちろんこの時点で歩いているランナーもおらず、悪天候に負けずに必死に走っている姿を見て、自分も奮起。



そして、21km過ぎの中間地点を通過。
時間は11時51分。10時スタートなので、なんと1時間51分という好タイムでここまで来る事が出来た。
絶好調だった11月1日の富山マラソンよりも約1分速く到達する事ができ、順調過ぎる展開。終始全力で走ったハーフマラソンの自己ベストが1時間40分台なので、ほとんど変わらないタイム。
後半もこのままのペースで走ってゴールまで行ける程、フルマラソンは甘くない事は重々承知しているが、前半で十分な貯金が出来たので、この先、大きく崩れる事さえなければ、目標の制限時間4時間以内の完走はいけるとひと安心。
そして、フルマラソンの中間地点まで自分にとってのハイペースである「5分/km」で走ってこられたという事実が今の自分にとって大きな誇りと自信になった。

雨のために沿道の応援は少なかったが、雨の中に田園地帯の何もない直線コースをひた走っている時に見た

抜け出すぞこの直線で

という言葉には、中間地点を越えてさすがに疲れが見え始めたところだったので奮い立たされた。

30km地点到達。さすがに前半の「5分/km」のペースは保てなくなってきた。
30?走っても脚は全く痛くないのだが、ハイペースで走って来た事による代償として、臀部の中臀筋に張りというか、違和感を感じ始め、それにより脚に力が入らなくて上がらなくなってきた。それにより、ストライド(歩幅)が狭くなってペースが落ちてしまうというメカニズムだ。
この自身の弱点は事前に把握していたので、通っているジムのレッグプレスを入念に行って、臀筋群は鍛えてきたハズなのだが、まだまだ不十分だったようだ。仕方ない。これが今の自分の走力だ。
でも、最低限、「5分30秒/km」のサブ4のペースは最後まで維持する事を心掛けて走った。

相変わらず降り続く雨の中、沿道で盛大に応援してくれる地元の方々や学生、ボランティアの方々には本当に頭が下がる。
自分達は雨に濡れているものの、動いているので、それ程寒さは感じないものの、彼らは雨に濡れてさぞかし寒いであろうに、元気な声をあげて応援してくれるなんて、自分にはとてもじゃないができない。

田園地帯のコースから大田原市街地に戻って来て、何とか「5分30秒/km」のサブ4のペースを保ちながら37km地点に到達。
時間は13時21分。ということは、残り5kmを39分で走れば制限時間内に完走できる。余裕だ。
ただ、最終関門の38.3km地点を超えるまでは安心できない。

そして、順調に38km地点に到達して、最終関門の38.3kmを無事通過する事が出来た。
この最終関門を過ぎてしまえば、たとえ4時間以内にゴールに到着出来なくても、完走扱いにしてもらえるそうだ。
制限時間間際でここに到達したという最悪のケースを想定して、これまで出場したマラソンの中で最も入念に各関門時間を見直し、どれくらいのペースで走ればよいのかを事前にイメージしていたのだが、このペースでここまで来る事ができた今の自分にとって、そんな心配は不要だった。
せっかく良いペースでここまで来たので、ここは「制限時間内の完走」という目標を「自己ベスト更新」に切り替え。


40km地点を通過。あとちょっと!
だが、臀部の違和感が相変わらずで走ってはいられるものの、ペースが全く上げられない。

41?地点を通過して、沿道の応援が更に増して盛大となり、やっとゴール会場である美原公園陸上競技場へ戻って来た!



あぁ、嬉しい。ペースは上げられないものの、五体満足で走って制限時間内に念願のゴール会場に戻ってこられた。

ここに来て、競技場内のトラックを1周走る事なんてご愛敬。
雨で濡れ鼠になった姿でありながら、サングラスを取って、笑顔にウイニングラン
「辛い」「疲れた」「歩きたい」「止めたい」と言いたい・思いたい弱い自分に克(勝)って、今回もこの歓喜の瞬間を迎える事が出来た。

ここまで来たら、最後の力を振り絞って、前のランナーを抜いて、1秒でも早くゴールしよう、ひとつでも順位を上げようなどとはしない。
ゴール直前の歓喜の瞬間において、誰かに抜かれると少なからず良い気持ちにはならないものなので、同じペースで42.195kmを走って来た仲間・同志として、そのままの位置を保ったまま、気持ち良くゴールする。


無事、制限時間の4時間以内にゴール!
完走タイムは、グロスタイム(スタートの号砲からゴールゲートまでのタイム)で「3時間49分16秒」、ネットタイム(スタートゲートからゴールゲートまでのタイム)は「3時間48分17秒」。
11月1日の富山マラソンで自己ベストを更新したものの、3時間50分を超えられなかったのだが、今回、またもや自己ベストを更新でき、3時間40分台のタイムで完走できた。
制限時間内での完走を目指していた自分にとって出来過ぎの結果だ。


ゴール後、感動と共に達成感、充実感などに満たされてしばし放心状態。
特に、今日まで完走できるのかどうかが不安で緊張感に満たされていたが、無事完走できたという安心感と開放感はかなりのものであった。
ただそんな状態も束の間、走るのを止めた事で雨に濡れた状態の身体に急に寒さを感じ始め、がくがく震えながら、慌てて荷物が置いてある県北体育館のメインアリーナに戻った。
その途中で大会側が無料で振る舞ってくれた暖かいなめこをいただく。雨が降って激寒の中、温かい上に、完走後で心が満たされている事もあって、かなり美味しかった。

着替えた後は、帰りの新幹線まで時間があったので、あいにくの雨で客足が全く無くなってしまった屋台村で、地元の野菜が大盛りに入ったうどんを食べて、寒さから完全に生き返った。
それにしても、雨の中に42.195kmを疲労困憊になりながら走ったにも関わらず、この後、風邪などに罹患しないなんて、強靭な身体になってくれたものだ。
これ程の状況に陥っても風邪をひかないので、普段生活していても風邪をひく気配が無い。
これもランニングを始めた事で良かった点のひとつだ。

自分に限らず、多くの出場ランナーも番組のチラシを配るNHKスタッフに「金さん、どうでした?」と聞くくらい気にしていた金哲彦さんの本日の結果は、無事、サブスリーで完走されたようだ。
さすが、元・プロのアスリートだ。約1年前に50歳代でのサブスリー達成を宣言され、見事、それを達成された。その有言実行っぷりには感動を覚える。
一体、今日迄にどんな練習をされてきたのだろう。そして、今日はどんなレース展開だったんだろう。
タイムは約1時間も違って自分とはレベルが全く違うものの、同じ距離とコースを走って同じ苦しみと感動を味わった者同士として、来年1月16日にNHK BS1で放送される番組が楽しみだ。

そして、ゴール後にもらって着替えている時にどんなデザインなのかを確認してみた、今年の大田原マラソンの参加記念Tシャツ。
ランナーの格好をした馬に、置いてけぼりをくらった那須与一が手を伸ばしている。
地元の大学生が描いたとのことだが、あまりにもシュールで謎なデザイン。
「えっ、これが有名な大田原マラソンのTシャツのデザインなの!?」と目を疑いたくなった。
大会の真面目で硬派な雰囲気からして無難なデザインをイメージしており、大会自体のレベルが高い分、他大会で着ていたら自慢できるかなと思っていたが、これは着れるかな・・・
でも、逆にレア感があって面白く、これはこれでお気に入りで、今後良い思い出になりそうだ。ランナー同士での話のタネになりそう。

それにしても、出場前は大変緊張したが、終わってみれば、こういう出場するランナーに媚びない硬派でエンターテイメント性が高い他大会と一線を画した大会も、全国でたくさんの大会が乱立する中に大変貴重で、とても刺激になって面白かった。
レース中、歩いているランナーはほとんどおらず、自分と同じようにそれなりの練習と実績を持ったマジメなランナーばかりである事が伺え、自分もそれを感じて「負けまい!」と奮起できたからこそ、辛くても走り続けられ、自己ベスト更新に繋がったのであろうと再認識した。
さすが噂に名高い大田原だ。
来年、同じ制限時間4時間の「さいたま国際マラソン」「防府読売マラソン」にも出場して、またこういう空気と刺激を味わおうと心に誓った。
そして、これで10月18日から続いた秋の怒涛のマラソン連続出場は無事終わりを迎え、年内のマラソンはほぼ終了。
2015年最後のフルマラソンにおいて、最高の走りが出来て、最高の締めくくりが出来た上に、2015年に掲げていた目標を全て果たせた満足感に溢れて良い年末を迎えられそうだ。
また、翌日の11月24日は自分の誕生日。
大田原マラソン完走!」という何物にも代え難い最高の誕生日プレゼントをもらう事ができて嬉しい限りだ。
これでマラソンでの47都道府県制覇に向けて、38県目。