高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 日本最古の歴史街道・竹内街道を走って走り納め

12月27日日曜日。
2015年の走り納めは、普段とは異なるコースと距離を設定して、難波大道と竹内街道を辿って走る事にした。
難波大道竹内(たけのうち)街道とは、奈良時代に成立した日本の歴史書日本書紀にこの道のこととして「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されているくらい、古くからある日本最古の官道とされているそうだ。
よく走りに行く大阪城公園で走り終わった後に、NHK大阪局の敷地内にある広場に寄ってストレッチをしていると、そこにポツンと設置されている看板が気になって読んでみたらこの道の事が書かれていた。
家に帰って調べてみると、大阪市中央区NHK大阪局から竹内街道の終わりの奈良県葛城市の長尾神社まで約40km。これは一度自分の足で走りながら歴史街道を感じてみたいとかねてより思っていた。
ただ、距離がフルマラソン並みで通常の日曜日に敢行していたらダメージがデカいので、年内最後の日曜日で火曜日から年末休みが始まる今しかないと思い立って敢行した。
この日、ウインドブレーカーの下に着たのは、2013年12月8日に宮崎県宮崎市で開催された「青島太平洋マラソン」、ランナーの間では「アオタイ」の名前で有名な大会の参加記念Tシャツ。
この大会はこれまで出場したフルマラソンの中で特に面白かった。かつて仕事でよく行っていた宮崎市に久し振りに行けただけではなく、ボランティアの大部分が高校生という事で沿道の応援がかなりすごい。
少しでも仮装をしていようものなら、リアクションが良くて、やんやの大盛り上がり。
いつかまた出場してみたい。そのときはまた大阪マラソンの時と同様に仮装をして走ろう。

朝7時過ぎに、自宅の堺筋本町からすぐの大阪城前のNHK大阪局前の広場に到着。
この難波大道と竹内街道を説明する看板と緑の一里塚がこの日のスタート地点。




NHK大阪局を交差点を挟んだ広場には、難波宮(なにわのみや)史跡公園がある。今は何も無くて大きな台座が残っているだけ。ここにかつてあった難波宮に来るためにこれから行く街道を歩いて、堺市や奈良から人がやってきたそうだ。

難波宮史跡公園から上町筋を南下。天王寺からはあびこ筋と名前を変えてあべのハルカスを横目に南下。
そして、大阪城公園と共に大阪市民のランナーの聖地のひとつの長居公園に到着。
この日もたくさんのランナーが周回コースを自分と同じように走っていた。
来年の1月31日に大阪ハーフマラソンのゴール地点として、2年連続でここに走ってやって来る予定だ。
同日には女子のリオ・オリンピック代表選考レースである大阪国際女子マラソンも開催される。
無事、大阪ハーフマラソンをゴールして、リオ・オリンピックを狙う女子のエリートランナーがここ長居公園にあるヤンマースタジアム長居にゴールしてくるのを観覧席から見守るのがとても楽しみだ。

大阪市中央区天王寺区阿倍野区東住吉区住吉区を走ってきて、ここまでは何度も走ってきたことがあるが、さすがに長居公園よりも南に走って行ったことはほとんどない。
この吾彦大橋を渡って大和川を越えると堺市だ。


堺市に入ってもしばらく南下。このあびこ筋の下には地下鉄御堂筋線が走っており、終点のなかもず駅のひとつ手前の新金岡駅までやって来ると、その先の大きな交差点でそろそろ難波大道も終わりで南下するのも終了。
ここまで約12km。たった12kmで堺市まで自分の足で来ることができる。近いものだ。

ようやく県道2号線である竹内街道にやってきた。
この竹内街道を東に行くのが今日の目標地点だが、少しだけ西の堺市方面に走って、三国ヶ丘の手前の向陵東町にある緑の一里塚を発見。これが歴史街道竹内街道であることを示す象徴だ。ここからが本当のスタート。
一里塚といえば、一里(約3.927km)毎に設置された旅行者の目印になった塚のことだ。
この先、竹内街道沿いにところどころにあるこの緑の一里塚を目印にまさに旅人気分で走り、約25km先の目標地点を目指す。


三国ヶ丘の緑の一里塚から竹内街道を東へ走る。歴史街道と言われているが、この辺りは片側4車線の大通でその面影はまるでない。
堺市北区の市役所を越えると、大泉緑地公園が見えてきた。名前は聞いたことがあったが来るのははじめて。ここも堺市のランナー達が走っていた。自分もここで走りたかったが、時間がかかってしまうので先を急ぐ。


堺市から松原市に入って、阪和自動車の下の市営柏木住宅の前で次の緑の一里塚と「竹内街道」という青文字で書かれた立派な道標を発見。
ただ、これらが竹内街道沿いに設置されているのかと思ったら、竹内街道から少し中に入ったところにあったので、見つけるためにしばし周辺をウロウロ。無事発見できて良かったが、この先にある一里塚もここのように道沿いに設置されていなかったら見逃してしまうかも・・・

という不安が現実になる。羽曳野市に入ったところで、「野」地区にあるらしい次の緑の一里塚を完全に見逃した。
漢字一文字で「野」という珍しい地名があるとは知らなかった。てっきり「野地」区という地名かと思って完全にスルーしてしまった。すべての一里塚を見つけて竹内街道を走りきりたかったが気づいたのが遅過ぎたので諦める。
少しだけ藤井寺市に入って、すぐに羽曳野市に戻る。

近鉄南大阪線の古市駅を越えると、それまで広かった道が一気に車1台分くらいしか通れないほど狭くなって、道行く人も車も少なくなり、いよいよ歴史街道の雰囲気が出てきた。
次の緑の一里塚は、近鉄南大阪線駒ヶ谷駅近くの道路沿いにあったので、無事発見。立派な道標だ。

この後、道を間違えてしまい、あらぬ方向に往復3kmほど走ってしまう。
幸いにもそれに気づいて正しいルートに戻ったものの、ここまでの走行距離は30km近くになり、疲れが出始めた。
そして、SONYのランニング用音楽プレーヤーSmart B-Trainer SE-BTR1の充電も切れてしまい、道に迷いながらスマートフォンで地図をチェックしながら走っているので充電も少なくなってきて、「ちょっと遠くまで来過ぎたな・・・」と気持ちが萎えてきてしまった。
近鉄南大阪線上ノ太子駅に到着。
そして、この辺りから竹内街道をPRするためか、街道沿いの民家の軒先の花壇や灯篭などに「竹内街道」の文字が。ここまで時々止まってはスマホを見てルートが正しいかを確認しながら走ってきたので、果たして正しい道を走っているのか、不安な気持ちもあって心も疲れ始めていたが、これでこの先、安心して走っていられる。街道沿いの住民の心遣いに感謝。


羽曳野市から太子町に入って、疲れていたのもあってか、太子町の春日にある緑の一里塚も見逃してしまう。
太子町は歴史街道に見合う昔ながらの街並みが残っていて風情があり、ここを走っていると、昔の旅人になった気分で楽しかった。
そして、いよいよ竹内峠の峠越えの坂道。峠走の練習にちょうど良い。最後の難関だ。
緩やかだけど長い登り坂を走って登って、竹内峠の最高点に設置されている緑の一里塚に到着。
遂にここまで来た。この峠を越えれば奈良県だ。そして、ゴールももうすぐ。


竹内峠の下り坂を走って降りて、奈良県葛城市総合体育館前で最後の緑の一里塚を発見。
この先にある長尾神社竹内街道の終わりで、今日のゴールだ。

そして、ゴールの長尾神社に到着!

いやぁ、今日も含めて、今年もよく走った。
毎月のように各地のマラソンを走った。その分、お金も大量に消費したが、その分、プライスレスな経験をたくさんでき、マラソンの乾燥実績を積み重ねることができたので、後悔は全く無い。
五体満足で全てのマラソンを予定通り走らせてもらい、しかもすべて目標を達成できたことへの感謝を込めて参拝。

早くも正月の門松が飾られていた。正月の縁起物である葉牡丹と南天がきれいだ。

ここに到着したのとほぼ同時にスマートフォンの電源が切れてしまった。
道に迷いながらここまでスマホで地図を見ながら来たので、今日は大活躍。ゴールするまでもってくれて良かった。お疲れ様でした。
そして、途中、寄り道したり、道を間違えたりした事もあり、走行距離は約44km。普通の日曜日なのに、フルマラソンを超える距離を走ってしまった。走り過ぎた感があるが、2015年を締めくくるのに相応しい大変走り応えのあるコースだった。
帰りは近鉄南大阪線磐城駅からのんびり電車で天王寺を経由して帰宅。
走り納めも無事できたので、これで満足感に満たされながら、実家に帰省してゆっくり年末年始を過ごせそうだ。