高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 怪我も完治して早朝リハビリラン

3月13日日曜日、小江戸大江戸200kから1週間が経って、200km走ってボロボロだった身体も回復し始めた。
激しい足の筋肉痛は消え、深夜の皇居ランで転んだ時の右膝の外傷は湿潤療法の絆創膏で綺麗に治り、股ズレなどの擦り傷も癒え、特にひどかった靴擦れによる爪と皮が剥がれた両脚の小指は、毎日、消毒しながら絆創膏で保護しておいたら、早いもので1週間もしないうちに皮が再生して絆創膏が不要になった。
人間の再生能力ってスゴい!
さすがに小指の爪は再生せず、爪無しだが、痛みや違和感などはまるで無し。
ラソンを通して人間の自然治癒力の凄さを再認識した。
そこで、1週間休足したこの日からラン再開。
これまで練習用に使用していたゲルサロマは、川越から帰阪する際に、受傷した小指を圧迫しないためにナイフで小指が当たる部分を切ってしまって履く事が出来ず、自宅で飾って崇め奉る存在になっているため、今日は走り潰して踵の外側がすり減ってしまっているadidasのspringgrideで日曜日の早朝ランニングスタート。ゆっくりペースのリハビリランだ。

やはり、つま先部分に伸縮性があって履き心地が良い自分に合ったシューズは違う。20km走っても、受傷後の小指には何の影響も無かった。



復路でいつも通り、九条の茨住吉神社に寄って、無事、小江戸大江戸200kを完走させてくれた神様に御礼参り。

2階にある境内からは木の枝を間近に見る事ができるのだが、今にも開きそうな蕾がたくさんあった。
これは白木蓮の蕾かな。上向きに白い花が咲いて、白い小鳥がいっぱい木に止まっているように見えるハズだ。

これは桜の蕾。春も近い。

早朝ランニング終了後、いつも自宅最寄りのセブンイレブンに寄るのだが、最近、いちごオレやフルーツオレに加えて、キウイオレが発売された。キウイは大好きなので、今後、しばらくは走った後にこれでプロテインを溶かして飲用しよう。

冬のマラソンシーズン真っ盛りの3月13日は全国各地でマラソンが開催されており、4年前に出場した名古屋シティマラソン、2年前に出場した鳥取ラソン、そして昨年出場した横浜マラソン(一応、今年もエントリーしたものの、落選)、未出場の古河はなももマラソンもこの日だ。


昨年、とても楽しかった横浜マラソンのTシャツを下に着て走った。

そして、女子マラソンの最後のリオオリンピック選考レースである「名古屋ウィメンズマラソン」。
9時のスタート前に走り終え、ゆっくり動向を観守った。
ゴール直前まで第一生命の田中智美選手と天満屋の小原怜選手が日本人1位を競い合うしびれる展開。
ゴール終盤、今は第一生命のアドバイザーで先輩である尾崎好美さんが沿道で並走して田中選手に声を掛けている姿に感動。

ゴールの名古屋ドームに来ても変わらずデッドヒート。
「おいおい、これどっちが勝つの!?」と思わずテレビに向かって叫んでしまった。

勝負は名古屋ドーム内での争い!
最後は、田中選手が意地で振り切って1秒差で日本人1位ゴール。
ゴール直前までどちらが勝つかが分からない大興奮の展開だった。
2年前の2014年に横浜国際女子マラソンで優勝したにも関わらず、その年の世界陸上の代表に選ばれなかった悔しさを布石にして、今回の日本人1位を勝ち獲った。
最後はその時の悔しさや想いが1秒の差を生んだのだと思う。
今回は日本陸連も問答無用で代表確定だろう。
先日の大阪国際女子マラソンで8年前のフルマラソン初挑戦時の醜態をバネに優勝した福士加代子選手といい、今回の田中選手といい、女子マラソンの代表選考にはストーリーがあって、感動しきりだ。
1秒差で2位だった小原選手にも代表権を与えてあげたいが、他の2枠は昨年の世界陸上で夏のレースで入賞した伊藤舞選手と大阪国際女子マラソン優勝の福士選手で確定なので仕方ない。これが厳しい勝負の世界だ。

復活を期待して応援していたオリンピック金メダリストの野口みずき選手は、序盤から遅れ始めてしまって代表選考には絡めなかった。


この日は、200kmを走った後にでもこうやってまた五体満足に走る事ができる幸せを実感しながら走った。
ただ、先週の刺激的だった非日常を一度味わってしまったら、普通の週末が物足りなく感じてしまう中毒性がマラソンにはある。
200kmを走った直後は「200kmなんてもう二度と・・・」と思っていたが、1週間経つと、「1年に1回ならもう一度挑戦してもいいかな」となってしまうのが何とも不思議だ。天性のドMなのだろうか。
あの刺激を毎週のように味わいたいが、そうなってしまうとそれは刺激ではなくなり、つまらなくなってしまう。たまに味わうから刺激になるのであり、平凡な日常があってこそ、非日常が楽しいものなので、次の楽しみに向けてまた精進だ。