高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

OSAKA淀川ウルトラマラソン、2年連続100km完走!

2016年3月27日日曜日、「第2回OSAKA淀川ウルトラマラソン」当日。
直前まで1週間前に負った左足ふくろはぎ(腓腹筋)のこむら返り後の後遺症で普段通り走る事が出来なかったものの、直前の水曜日に回復して、何とかこの日を迎える事が出来た。
本当に良かった。今回挑む距離は100kmであることもあって、直前までDNS(Did Not Start:不出場)しようかとずっと悩んでいた。
故障明けで心配なのだが、大阪開催で近いし、大阪在住のウルトラランナーとして大阪で開催されるウルトラマラソンには参加しないワケにはいかない!と判断し、3月5日6日に小江戸大江戸200kで200km走った同月に走るなんて無謀な挑戦だが、やれるだけの事はやろうと心に決めた。
この大会は、昨年、第1回大会として大々的に開催されたものの、大会運営やサービスに対しての評価が低く、なおかつ淀川河川敷という殺風景な単調コースで散々な思いをして、その時は「もう2度走らない!」と思っていたものの、結局1年経ってみると、「1年に1回ならあの苦しみをもう一度味わってもいいかな」と思い始め、エントリーしてしまった。とことんドMな性分だ。もはや病気。
それに、故障明けの今、回復した足の調子を試す場としては、淀川の河川敷コースは最適だ。
2016年3月26日土曜日は早めに寝て、2016年3月27日日曜日は午前1時30分という、普段ではあり得ない時間に起床。
シャワーを浴びて着替え、足裏や膝にテーピングを貼っている時、テレビではNHKで「今夜も生でさだまさし」が放送されていた。そういえば、1年前に出場した際もこの番組をこの時間に観て、さだまさしが唄う「風に立つライオン」を聴いて、その歌声と歌詞に感動して、その後、映画を観に行った事を思い出した。奇遇だなぁ。
今年は、昨年あった京阪電車の深夜の100kmのウルトラランナー専用の枚方行き特別列車は運行せず、西梅田ザ・リッツ・カールトン近くの交差点から出発する大会専用バスでスタート会場の淀川河川公園枚方地区まで向かう。
どうやら昨年のあの特別列車の運行は大赤字だったようだ。それを考えると、昨年のあの経験はとても貴重だった。
自宅からタクシーで西梅田の集合場所に行くと、真っ暗なド深夜に出場ランナーがバスに乗るために集結している光景は異様だった。みんな変態だ(笑)。


スタート会場の淀川河川公園枚方地区に到着すると、まだ4時過ぎ。バスが早く着き過ぎだ。
スタートの5時40分まで1時間以上も待ち時間がある。3月末であっても深夜なので、かなり寒く、真っ暗な中で震えながら着替え、ストレッチしながら身体を温め、今か今かとスタートを待つ。
寒い中で1時間以上も待たされながらも、誰ひとり、文句ひとつ言わない。さすがウルトラランナー。これからより過酷な100kmも走るので、自分も含めてこんな寒さはへっちゃらだ。
午前5時を過ぎて、空が明るみ始めた。
しかし、100kmの部の募集定員は2,000名だったハズだが、見渡してもそんな大人数はおらず、300名に満たない程度の淋しいカンジ。
昨年不評だったし、今年は昨年に比べて全てがスケールダウンしてしまったので、ランナーが集まらないのは止むを得ないだろうなぁ、としみじみ。
大会側も、大阪の都心近くで行われる唯一のウルトラマラソンとして、もっとこの大会の事をPRすれば良かったのに。ウルトラマラソンなんて、世間一般からしたらマニアックな競技なので、人が集まらないのは重々承知しているのだが・・・。

そして、午前5時40分、第2回OSAKA淀川ウルトラマラソン、スタート!
故障明けの左足ふくろはぎが何とも良ければ良いが・・・と願いながら走り始めた。
こむら返りにならないためにも、スタート前に電解質系のゼリーを摂取して、しっかりストレッチをしておいたので、きっと大丈夫。

まずは、枚方淀川河川公園をスタートして、上流に向かって大阪府京都市の県境の橋本まで行って折り返してスタート地点に戻ってくる往復20km。
序盤は、3月上旬の小江戸大江戸200kでもご一緒した、埼玉県から参戦しているTさんの後ろ姿を見ながら走る。自分も持っている昨年のサロマ湖100kmウルトラマラソンのFinisher's Tシャツを着ておられる。
自分も小江戸大江戸200kで200kmを走った同月の100km挑戦で大概変態なのだが、Tさんは自分よりも更に上の強者。小江戸大江戸200kの翌週から横浜マラソン、板橋cityマラソンとフルマラソンを毎週走り、今日に至っている。
以前、この大会に出場するつもりとちらっと聞いた事があったが、まさか今日も来ていないだろうなぁと思って連絡してみたら、案の定、来られていて、開会式で声を掛けて頂いた際はびっくりした。尊敬に値するタフさとスタミナだ。

河川敷のコースは覚悟していた通り、変わり映えのしない殺風景な退屈なコース。
ここだけではなく、ほぼこれと同じ風景がこの先100kmを通して続く事になるのだが、この日は絶好のランニング日和でスタート前は寒かったものの、夜が明け始めた頃からちょうど良い涼しい気候になって、走って気持ち良かった。

走っていると、淀川の土手の向こうの東の空から太陽が昇り始めた。夜明けの太陽は直視できるくらいの光量なので、真ん丸の美しくて赤い太陽を久し振りにマジマジと見た。やっぱり朝走るのは気持ち良い。
今回、走りながらだと写真はうまく撮れなかったが、淀川の土手の上を美しい夜明けの太陽を見ながら走ったらさぞかし気持ち良いんだろうな。

橋本付近で10kmの折り返し。折り返しのコーンも、経費削減が否めない。

折り返した後は10kmを引き返して、下流方向にスタート地点に戻る。
淀川の河川敷なので、我々ランナーを応援してくれる方は大会関係者のみで他大会に比べたらかなり少ないのだが、時折、沿道で応援して頂ける方がいた。こんな早朝から応援してくれるなんてありがたい限りだ。

20km走ってスタート地点に戻って来た。天気が良くて気持ち良い。昨年は雨の中での修行レースだったので、それとは大違い。


スタート地点で盛り上がってくれているのは司会の女性のみで、よく通る甲高い声でひとり、我々ランナーを励ましてくれ、ハイタッチをして我々ランナーを送り出してくれた。

20kmを走ってこれからがこの大会の本番。
大阪城近くを流れる大川と淀川が交わる淀川大堰まで延々と下流に向かって走る。
さて、ここからは変わり映えが無い景色がずっと続くコースで、せっかくカメラを持って走っていても、被写体が何もないので、淀川に架かる橋を撮って行くことにした。
20kmを超えてすぐに枚方大橋をくぐり、次に淀川新橋

鳥飼仁和寺大橋摂津市の鳥飼、寝屋川市仁和寺を結ぶ。

鳥飼大橋摂津市守口市を結び、この橋は近畿自動車道大阪モノレールも走っている。

豊里大橋。豊里と太子橋今市を結ぶ。

菅原城北大橋大阪市東淀川区と旭区を結び、旭区側には城北公園があって、6月にはアヤメやカキツバタが見頃になる城北菖蒲園がある。
ここまで来れば、淀川大堰まであと少し。

この橋は、今は歩道部分が立ち入り禁止になって渡る事が出来なくなってしまった淀川橋梁だ。
以前、渡る事ができた際は、木製の通路の真横を城東貨物線が走っていて、鉄ちゃんには有名なスポットだった。自分もかつて渡った事があるが、歩道の真横を電車が通り過ぎる迫力に驚いたのを思い出す。2018年(平成30年)におおさか東線北梅田-放出間)が開業し、この橋を渡る事になるそうだ。

彼方に梅田の高層ビル群が見えてきた。このコースの中で唯一好きな風景。都会に向かって走って行くカンジがたまらない。

淀川大堰に行くための100kmを通して数少ない短い坂道を登ると、毛馬閘門(けまこうもん)に到達。


いよいよ、この日にしか立ち入る事ができない淀川大堰(おおぜき)を走って対岸に渡る。雄大だ。1年に1回のレアな経験をしている事を認識しながら走った。




この淀川大堰の通路から眺める景色もまた1年に1回しか見られない。

淀川大堰を渡った後、再び上流に向かって延々と走る。
42kmを過ぎた辺りでGPSウォッチを見ると、何と4時間以内、つまりウルトラマラソンなのに、フルマラソンの距離をサブ4(4時間以内)のペースで走ってしまった。
序盤から体調は好調で、コンディションも良く、懸念していた左足ふくろはぎも何の違和感もなかったため、5分30分/kmのウルトラマラソンにしてはハイペースで走っていたら、ここまで来る事が出来てしまった。
ヤバい、これはペースが速過ぎだ。

案の定、45kmを過ぎた辺りから疲れが見え始め、5分30分/kmのペースを保てなくなった。
そこで、持ってきた携行補給食のHONEY STINGERの中でも最高級のGOLDを注入。これはほぼハチミツ原液で、この甘さが疲れた身体にピッタリで、いつも助けられている。それにかなり甘いので、目も覚めて、良い気分転換になる。45kmから65kmまでの約20kmは、ペースが6分30秒/kmまで落ちてしまって、一番辛かったものの、それ以上は遅くならないように頑張って走り続けた。

50km過ぎ。河川敷から土手に上がって、黄色い菜の花がたくさん咲いている未舗装の道を走る。ここまでほぼ無色の風景の河川敷を走って来たので、とても癒された。

55km地点到達。対岸にスタート&ゴール地点である淀川河川公園枚方地区にあるとんがり帽子の水位計が見えた。枚方まで戻って来た事を認識。

ここを過ぎた辺りで、沿道で応援して頂けていた方からコーラをいただく。ウルトラマラソンにおいては、炭酸飲料は必須だ。炭酸飲料の喉越しが染み渡る。

55km地点の枚方大橋を過ぎてから5kmの60km地点。ペースが上がらずに苦しい時間が続く中、最遠方の折り返し地点に到達。あとは今まで走って来た道を戻って、対岸の淀川河川公園枚方地区に戻るだけ!

疲れながらも、この大会で一番大きな65km地点のレストステーションに到着。
昨年は大阪名物のお好み焼きや焼きそばなどの屋台もあって賑やかだったのだが、今年はエイドの内容が全コースを通して地味。これも経費削減の一環か。別に自分は走っている時に固形物は食べないし、エイド目当てで出場しているワケではないので、全然気にしないのだが。
通常のウルトラであれば、レストステーションで着替えをするのだが、今回は涼しくて汗もそれほどかいておらず、不快感は無かったし、面倒臭かったので、着替えなどはせず、入念にストレッチをして、10分程度休憩しただけで再スタート。

ストレッチをして、10分程度、休憩した事で、体力が回復して、これ以降落ちるばかりだと思っていたペースが復調。6分/kmのペースまで戻すことが出来た。
本当に読めないものだ。100kmも走っていると、好不調の波が繰り返しやってきて、どれだけ不調であっても、諦めずに走り続けていれば、また好調の波がやって来る。これだからウルトラは楽しい。
65kmを超えると、我々100km部門のランナーより遅くスタートした70km部門、50km部門のランナー達と同じコースを走る事になる。
昨年は、後半の方が3部門のランナーが入り乱れて走りにくかったのだが、今年は、他部門の上位者に抜かれるくらいで、コース上を走っているランナーが少なくて、とても走りやすかった。速いペースで走ると、周りにランナーが少なくて走りやすいというメリットもあることを実感。
そして、再び、彼方に愛しの淀川大堰が見えてきた。

再び淀川大堰の通路を走って、ゴールがある対岸へ。今年もこれで淀川大堰の走り納めだ。


淀川大堰までは6分/kmで好調に走る事が出来たものの、対岸に渡るとガス欠で不調の小さい波が度々訪れたものの、携行補給食でエネルギーを10km毎に補給しながら、遂に95km地点に到達。

そして、そのまま走り続け、いよいよゴール地点を示す枚方大橋が見えてきた。司会の女性の元気な声も聞こえてきた。

枚方大橋を越えると、ゴール!
第2回OSAKA淀川ウルトラマラソン、2年連続完走!




小江戸大江戸200kで204km走った同月なので、無茶かと思ったが、無事完走できて嬉しい限り。
しかも、故障明けだったのに、エイド以外では歩かずに走り続けて、昨年よりも1時間も速い、10時間30分を切るウルトラマラソンの自己ベストのタイムで完走することができた。
こむら返りが起きた後遺症によるふくろはぎの張りで、先週の日曜日は大阪城を1周して5km走っただけで取り止めにし、本大会をDNSにしようかを直前まで迷っていたのがウソのようで、今日は100kmを通して何とも無く、出来過ぎの結果を導いてくれた。
それに、淀川の河川敷コースが大して辛くなくて、「もう当分淀川には近づきたくない!」という想いは昨年程ではなかった。殺風景なコースなんて、この1年で味わった経験から慣れたもので、メンタル面も鍛えられたようだ。
これは今後の大きな自信になる。
今年6月のサロマ湖100kmウルトラマラソンでも、同じ10時間台で完走できたらいいな。
好不調の波といい、足の痛みといい、マラソンをやっていると理解できない事が多々起こる。だからこそ、やり甲斐があるし、面白い。


ランナーは走る場さえ与えてくれるのであれば、サービスが十分ではなくたってガマンでき、文句を言う事はしないが、どうしても他大会と比べると・・・。
昨年好評だった100kmランナー用の京阪電車の深夜の臨時列車はなくなっていたし、大阪名物のお好み焼きや焼きそばなどが出るエイドが無くなっていたし、100km走ってFinisher'sタオルと完走証だけ(去年みたいな完走メダルならいらないけど)。いくらランナーが集まらず、資金不足であるといっても、昨年好評だったサービスは残しておいてもらいたかったような気がする。昨年の評価から出場ランナーが減少し、限られた費用の中で、昨年赤字であったであろうサービスをそぎ落とし、最低限のサービスに絞ったのではないかと邪推してしまう。
が、良かった点も多々。今回は、2.5km毎にエイドがあって、走りながらも良いマイルストンになって助かったし、日曜日なのにコーナー毎にJTBの方が立って道案内してくれて、去年のような芝生の上を斜めに走ったりするなどのショートカットができなくなっていて、正確な100kmのコースになっていた。
そして、何よりも河川敷コースなだけあって100kmを通してずっとフラットで走りやすく、今日のように最高のコンディションだと、自己ベストが出やすく、自分も含めて多くのランナーが自己ベストなランが出来たのではないかと推測。
自分は大阪に住んでいるので良かったが、他県のランナーにはおススメできない練習会のような内容だったが、結局、多くのランナーは大会側から充実なエイドや参加賞、サービスなどをもらうようなおもてなしを受けるのは二の次で、自己ベストや完走が目的で出場しているのだから、この走りやすくてタイムが出やすいという最大のメリットが全てのデメリットを相殺してくれている。何よりも、なかなか練習では設定できない100kmを走る場を与えてくれただけでも、自分としては感謝しており、大満足。
大会には大会毎の個性がある。OSAKA淀川ウルトラマラソンはこういう大会なのだ。完走を目標としているランナーやエイドを楽しみたいランナーよりも、タイムを狙うランナーには向いているのかもしれない。