高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 前橋・渋川シティマラソン:地震の恐怖・不安が無い中で走られる幸せを感じて完走

4月17日日曜日、前橋・渋川シティマラソン当日。
朝8時スタートという、フルマラソンにしては早いスタート時間に向けて朝6時30分の前橋駅発の無料シャトルバスでスタート地点のヤマダグリーンドーム前橋へ。



スタート前の荷物預けと着替えは、ヤマダグリーンドーム前橋内。
着替えが室外であったり、室内であっても大混雑していたりすることが多い中、スタート前は快適に過ごせた。
荷物預かりも子供達までがボランティアとして頑張っていてくれて、待ち時間はほぼ無しでストレスゼロだった。

ただ、今回、大会側が荷物預けをするために、ヤマダグリーンドーム前橋のひとつの大部屋しか貸し切っていなかった事がゴール後に大変なことになる。
スタート前の開会式は、ヤマダグリーンドーム前橋前の広場にて。
前橋氏のマスコット「ころとん」や、群馬県前橋市に本社があるヤマダ電機所属の実業団選手がゲストランナーとして来られていた。



スタート前に、熊本地方で発生した地震により亡くなられた方々に黙祷し、午前8時、前橋・渋川シティマラソン、スタート!
スタート地点は、フルマラソンを走る2,000人のランナーが集結。有り難い事に日曜日朝8時に集まって頂けた沿道の方々も盛大に応援をくれた。


この大会のコースは利根川を何度か渡るので、その度に橋の上を走る際のアップダウンがきつかった。


最初の10kmは前橋市内を走るものの、10km以降はシティマラソンとは名ばかりのほぼ利根川沿いのコース。
「3月末はOSAKA淀川ウルトラマラソンで淀川沿いを走ってウンザリしたのに、今月は利根川かぁ・・・」
と気が滅入ってしまった。
殺風景な河川敷コースが続くと思ったのだが、河川敷の舗装道路沿いには八重桜が咲いていてとてもきれいだった。

それに河川敷の草原には、菜の花の黄色と蓮華の紫色の共演が見られて楽しませてくれた。
3月の淀川はほぼ無色だったが、今回は風景に色があって春が感じられ、全然殺風景ではなかった。


20km過ぎでは、高橋尚子さんの「夢は叶う!」というTシャツを着られていたランナーとペースが同じで、吉本興業群馬県住みます芸人をパス。


このマラソンで一番遠い場所である渋川市内の折り返し地点では、タヒチアンダンスで我々を応援。

25km辺りでは、大会名にもある渋川市内を走る。フルマラソンでの25kmを過ぎての緩くて長い登り坂はきつかった。

この折り返し地点の手前には、渋川市にある伊香保温泉のキャラクター「いしだんくん」とゆるキャラがハイタッチして応援してくれた。伊香保温泉には365段の石段があるからだそうだ。
そういえば、学生時代に当時付き合っていた彼女と伊香保温泉に行った時にそんな石段があったな・・・と苦い思い出を思い出した。

この折り返し地点で登り坂が終わり。

ここからの下り坂は、登り坂で落ちたペースを取り戻すためにペースを上げて駆け下りた。

30km過ぎ。フルマラソンはここからが勝負。ここからどれだけこれまでのペースを保って走り続けられるか。これまでの練習の成果が試される。
面白い恰好で応援してくれる方やフラダンスによる応援に元気づけられた。



37km手前。終わりが見えてきたものの、37kmでのタイムをみると、既に3時間20分を経過していた。
あいたたた、これはフルマラソンでの目標にしているサブ3.5(3時間半以内での完走)なんて、とてもムリなペースだ。
気分が一気に落ち込んだものの、このたくさんの蓮華が咲き誇る河川敷コースの美しさに感動。

そして、ゴール直前の39km地点で、それまで曇天でどんよりしていた空から青空が見えて、利根川と共に素晴らしい景色を望めた時には感動を覚えた。もうタイムなんてどうでもいいやと思えた。


40km地点の最後のエイドステーション。
まえばしシティランナーもりあげ隊という若者達が、笑顔で元気にハイタッチをしてくれてゴールに向けての最後の頑張りを奮起させてくれた。
いくら辛くて苦虫を噛み潰したような顔をしていたとしても、ハイタッチをしてくれる相手が笑顔であると、こちらも自然と笑顔になるのが人間だ。


対岸にゴールのヤマダグリーンドーム前橋が見えてきた。あと少し。

利根川に架かる中央大橋を渡れば、ゴール。

前日に行った群馬県庁を右手に最後の走り。


そして、前橋・渋川シティマラソン、無事、ゴール!

タイムは、3時間51分。
うーん、自己ベストであった今年2月の京都マラソンでの自己ベスト、3時間38分からは程遠いタイム。よく2ヵ月前はあのタイムで走る事ができたなぁと不思議になった。
後半になって大きくペースは落ちていなかったものの、全体を通してペースが低調だったようだ。
それもフルマラソンにしてはアップダウンが多いコースに、河川敷コースでの激しい向かい風が原因であり、この大会はタイムを狙う事が出来ないコースであったかもしれないが、大きな原因は自分の走力不足であろう。止むを得ない、これが自分の実力だ。
この日は全国的に気候条件が大荒れで、日本海側で開催された大会は強風により、大きく影響を受けたようだ。この日が第1回の大会であった石川県の「加賀温泉今日マラソン」は中止、2年前に出場した新潟県佐渡島の「佐渡トキマラソン」はスタートしたものの、途中で中止になってしまったそうだ。
日本海側以外でも「長野マラソン」「かすみがうらマラソン」は途中で悪天候に見舞われたようだ。
それに比べたら本大会は少し風が強かったくらいでコンディションには大変恵まれていた。
それに、4月14日からずっと続いている熊本や大分を含めた九州地方では、マラソンどころではない。九州地方の多くの大会が中止になったそうだ。当たり前だ。
この地震を受けて、地震による恐怖と不安も無い安寧な日々があってこそ、こうして趣味に興じる余裕が生まれ、楽しむ事ができる幸せを実感した。こうして五体満足で走っていられるだけで幸せだ。


しかしながら、完走後、完走証を受け取るのに約15分待ち、荷物受け取りに至っては、ヤマダグリーンドーム前橋前に長蛇の列が出来ており、約60分も待つ羽目に。
自分は後ろにおられた10km出場ランナーの方と話をしながら待っていたので待ち時間を感じずに待っていられたのだが、多くのランナーは疲れた身体で長時間待たされて、明らかに不平不満を言いたそうだった。結局、自分も、ここで時間をロスした事で帰りの電車を1本遅らせなければいけない事になってしまった。
これも、10km出場ランナーとゴール後のピークが重なってしまった上に、荷物預け場所がヤマダグリーンドーム前橋内にある大部屋だけであったためと思われる。他の大会と同様に、ヤマダグリーンドーム前橋の全てのスペースを使うくらいにしないとこういう事態になってしまう。他大会を見倣って欲しいものだ。
大会後、RUNNETのレポートでたくさんのランナーが本件をマイナスコメントしていて、来年の全国ランニング大会100撰に選ばれるかどうかが心配になるくらいであるが、大会側もHPで正式に謝罪しているし、来年は改善されると思われる。
荷物受け取り後、会場でゆっくりできなかったものの、大会側が準備してくれた豚汁を戴いた。


帰りの新幹線の時間まで余裕が無かったので、少しでも群馬県の味を楽しもうと、上州名物のトンカツ弁当「とんとんかつ重」と上州御用の登利平(とりへい)の「鶏めし」を買って、速攻で前橋駅に無料シャトルバスで戻り、高崎駅まで行って、帰りの新幹線の中で、朝から何も食べていなかった事もあって、2つ共、心置きなくたいらげた。


今回、大会パンフレットの出場者名簿を見ると、ほとんどの出場ランナーが群馬県内もしくは関東近郊から来ており、大阪から来ている奇特でもの好きなランナーは、フルマラソン出場の2,124名中、たった7名だけ。
30歳代に至っては、396名中、自分だけだった。ローカルな大会に出場したものだ。大会会場の売店の方に大阪から来た事を告げたら驚いていた。
でも、これでマラソンでの47都道府県制覇に向けて41県目。