高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 高野龍神スカイラインウルトラマラソン:宿坊初体験!

9月10日土曜日、北海道マラソン完走から2週間。
秋のマラソンシーズンがやって来る前の9月10月はウルトラマラソンのシーズン。各地で主要なウルトラが開催される。
2016年は今年初開催の「高野龍神スカイラインウルトラマラソン」に挑戦する事に決めた。
何故なら、第1回開催もあるし、紀伊山地のど真ん中を貫く「高野龍神スカイライン」を全面通行止めにしての大規模なウルトラマラソンが大阪から近い場所で開催されるというニュースを見て、関西に住むウルトラランナーのひとりとしてこれは出場しないワケにはいかないだろう、と思い立ち、即座にエントリーした。
普段は自動車専用道路の「高野龍神スカイライン」を全面通行止めにして走る事ができるなんて凄い。こんなレア経験はなかなかできない。
そんな非日常を味わうために、前日に高野山高野町へ移動。
天下茶屋から南海高野線に乗って、高野山の麓である極楽橋駅に到着。
ここからはケーブルカーで高野山頂上の高野山駅へ行く。



高野山駅に到着。ここからは歩いて高野町に行く事は出来ず、一般車両の通行も禁止されており、バスでしか行けない。神域なので、下界では無い決まりがある。


高野町に到着。
ここに来るのは2度目。かつて2012年9月、熊野古道のひとつである小辺路(こへち)を走るトレイルランニングに出場して、1日目は十津川村の廃校で宿泊、2日目は熊野本宮大社がゴールの70kmを走った際、スタート地点がここ高野山金剛峰寺だった。
前夜祭(宵宮祭)会場の高野山大学の体育館へ。

高野町の少年少女による高野太鼓の演奏や高野山金剛峰寺の僧侶達の声明による歓迎と激励を受けた。
交通の便が悪い場所なだけあって、この時間に間に合うように来るには難しい出場ランナーは少ないのか、残念ながら出席していた出場ランナーは少なめ。



たくさんの料理を振る舞ってもらえた。



最後にはオリンピアンのトークショー
1964年東京オリンピックのマラソン代表の寺澤徹氏、1976年モントリオールオリンピック競歩代表の森川嘉男氏。
自分は貴重なお話を聞けて大変楽しくて有意義な時間だったのだが、明日ウルトラを走るランナーを長時間立ちっぱなしでいさせた事などの大会運営に不満を抱いていたランナーも多かったみたい。
まぁ、第1回大会なので、大会側もランナーへの配慮が行き届かない点が多々あることは往々にしてあり、過去に出場した初開催大会で何度も経験済みでこちらは覚悟していた。
前夜祭の内容がどうであれ、自分の目的は翌日の本大会なので関係は無い。
むしろ休みの日にボランティアでこの場を準備してくれた事に感謝すべきだ。
これくらいのことで不満を言っているようなメンタルでは、そのランナーは翌日完走できなかったのだろうと推測。

お二人が退場される際に、誰もお二人のところに行かないので、自分はせっかくなのでお写真を撮って頂くことをお願いしたところ、快諾して頂けた。他のランナー達はこのオリンピアンのお二人の偉大さが分かっているのかなぁ。

高野山に来たら必ず参拝するであろう金剛峰寺は、今回は時間が無かったのでスルー。

そして、楽しみにしていたこの日宿泊する宿坊へ。自分は恵光院というお寺だった。

お寺で宿泊するのは人生初。何もかもが新鮮で、お寺に泊まるという非日常がとても楽しかった。

食事ももちろん精進料理。明日、カロリーをたくさん使うので、ちょっと物足りない。

記念に恵光院からお箸を戴けた。

部屋は襖だけで仕切られた2人1部屋の狭い部屋。一度にこれだけの宿泊客を受け入れる事もないであろうから、若い僧侶の方々は大忙し。

2週間前の札幌のすすきのの欲望・誘惑溢れる地から一転、今回は禁欲の地・高野山での宿泊。
このギャップがスゴイ。
夜の高野町をブラブラしてみたものの、店は全て閉まっていてひっそり。
これは食事をして風呂に入った後は寝るしかない!、ということで早めの就寝。
翌日に向けて睡眠時間も体調も十分だったハズだが、翌日の「高野龍神ウルトラマラソン」本番では地獄を見ることになる。