高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 高野龍神スカイラインウルトラマラソン:10km続く登り坂に四苦八苦しながら無事完走!

2016年9月11日日曜日、高野龍神スカイラインウルトラマラソン当日。
朝5時30分のスタートに向けて、4時過ぎに宿泊した宿坊・恵光院を同室の方と一緒に出て、歩いてスタート地点の高野山大学へ。
開会式は高野山大学の立派な講堂で。こんな朝早くから関係者の方々は大変だ。金剛峰寺の僧侶の方々は普通なのかな。


空が明るみ始めて、午前5時30分、高野龍神スカイラインウルトラマラソン、スタート!

スタート直後、高野町内を少しだけ走ってすぐに本日の舞台となる高野龍神スカイラインに入った。
自動車専用道路であるこの国道371号線を全面通行止めにしての本大会。
「交通量が多いであろう日曜日によくこんな大規模な交通規制を快諾したなぁ」と感心しつつ、貴重な機会を嚙みしめながら走った。
朝日も高野龍神スカイライン上で見ながらのラン。


序盤からいきなりの登り坂。
「アップダウンがキツイことは覚悟していたが、いきなりこれかぁ。100kmの序盤からこれでは、今日は大変な闘いになりそうだ。」
とまだまだ序盤なので走って登り坂を登った。
そんな高野龍神スカイラインから眺める広大な紀伊山地の山々の眺めが頑張っている自分へのご褒美。
自動車やバイクで走っているのではここまでゆっくり自分の足で走りながら景色を眺められる事なんてない。
貴重な機会と非日常を堪能していることを実感。





10km辺りで熊野古道のひとつである小辺路高野山熊野本宮大社)との合流地点に到達。
ちょうど4年前の9月に小辺路を1泊2日かけて走ったトレイルランニングに出場した時、ここで熊野龍神スカイラインを渡って、小辺路の山道に入って行ったことを思い出した。4年経って、今回は高野龍神スカイラインの舗装された道路を走っているなんて奇遇だ。

20km手前、サービスエリアのひとつであるレストラン鶴姫に到着。
ここではランナーにRED BULLが振る舞われた。
これまで出場した数あるマラソンの中でエイドステーションで出されたのは初めてだ。1本200円はするであろうに、高野龍神スカイラインの全面通行止めと合わせてお金がかかっているなぁ。
20kmしか走っていないので、炭酸飲料はまだ不要だったのだが、思わず頂戴した。氷水でキンキンに冷やされていて美味しかった。後半80km辺りでここに戻ってくるハズなので、その時には大変助かりそうだ。


標高1,040mのところには花園あじさい園があった。6月辺りに来たら綺麗そうだ。


和歌山県田辺市竜神村に入った。

高野龍神スカイラインの最高地点である標高1,239m地点を過ぎて、35km地点、護摩壇山のごまさんタワーに到着。

ここまで来たらしばらく下り坂と思っていたが、その間に距離合わせのような往復8kmほどの細いアップダウンが激しい道路。これまでの緩い登り坂ではないので、距離は短いもののきつかった。

ここが終わると、高野龍神スカイラインに戻って、折り返し地点までは下り坂一辺倒。
「しばらくは楽だなぁ」と安心して走っていたものの、その下り坂が思っていた以上に急で、しかも10kmも続くため、好調にハイペースで下り坂を走っていたものの、「復路ではこれを登る必要があるんだよな・・・」と大好きな下り坂なのに気が滅入り始めた。
そんな10km続く復路の登り坂を涼しい顔で走って登っているトップランナーとすれ違うと、彼らが本当のウルトラランナーだと思い知らされる。今の自分ではとてもこんな登り坂を走って登られない。


55km過ぎの龍神村でようやく折り返し。



折り返してからはいよいよ懸念していた10km以上続く登り坂。
60km辺りまでは走っていられたものの、それ以降は更に急になり、さすがに走っていられなくなった。


その結果、約10kmに亘って全歩き。自分の走力では60kmを過ぎて、高野龍神スカイラインの急峻な登り坂を走って登る事は出来なかった。
「あぁ、まだまだだなぁ」と打ちひしがれながら、疲労困憊で70km手前の最高点であるごまさんタワーに戻ってきた。
「やっと長かった10kmの登り坂が終わりだ!」とほっとひと安心すると共に、ここでの関門制限時間を見て驚愕!
関門制限時間15時に対して30分くらいしかない。
マジか!慌ててここに来るように手配されていたはずの荷物を取りに行こうと思ったら、到着するのが遅過ぎて荷物はゴール地点に向かって出発してしまったと告げられた。
携行補給食は予定より使っておらず、残り30kmであれば補充は不要だったし、のんびり着替えなどしていられないので、先を急ぐ事にした。
この状況に大会後、多くのランナーから不満が挙がって大会側が不手際をHPで謝罪していたが、第1回でこういうことは往々にしてあるので、仕方がない。
こういう事態も一興として受け入れながらも100kmを完走できるキャパシティと走力、メンタルがあるランナーこそが真のウルトラランナーだ、と自分は思う。いちいちこういった事態に文句・不平不満を言っているヒマがあれば先を急ぐべきだ。
ウルトラマラソンで、関門の制限時間に追われてヒヤヒヤしながら走るのは久し振り。
時間を気にしながらの次の関門である86km地点のレストラン鶴姫までのランは、生きた心地がしなかった。
86km地点のレストラン鶴姫に到着した時間は、関門制限時間17時15分に対して、16時53分。良かったぁ。

携行補給食と往路で楽しみにしていたRED BULLエナジー補給。

さて、この関門さえ過ぎれば、ゴールは見えた。しかも残り14kmは得意な下り坂が続く。
これまでの登り坂で蓄えておいたエネルギーを開放する時が来た。
ここぞとばかりに、下り坂を一気に駆け下りた。もし飛ばし過ぎてエネルギーが切れたって、後は歩いてでもゴールできる。
80kmを過ぎてこれだけ足が残っている自分の走力に感動しながら、あっという間に90km、95kmを過ぎた。これまでの長かった登り坂での10kmと大違い。


最後の96km地点の最終関門も30分前に到着。

後はゴールまでのカウントダウン。


残り2kmを過ぎて、高野龍神スカイラインを離脱。長かったぁ、当分、近づきたくない笑

高野町からゴールの高野山大学に戻る頃には日も暮れ始めて、無事ゴール!


完走タイムは、12時間57分53秒。
いやはや、今回は危なかった。制限時間は13時間30分なので、全く時間に余裕が無かった。そんな状態だったので、ゴール後の安心感・達成感はひとしお。良かったぁ〜。

そんな大変な想いをして完走できた大会なので、この世界遺産紀伊山地紀州材で作製された完走メダルは良い思い出になる。

大会後、こんなアップダウンが多い日本屈指の難コースで制限時間13時間30分は短過ぎ、という声がランナーから挙がっており、自分も同感。
完走率は低く、46.12%だったとのこと。そりゃそうだ。
サロマ湖100kmウルトラマラソン四万十川ウルトラマラソン、東京・柴又100Kに次ぐ、日本で4番目の日本陸連公認コースだそうだが、こんな過酷なコースが陸連公認とは信じられない。

今回、60kmの急峻な登り坂を登りきった後、86km地点の関門に至るまでは制限時間に追われて生きた心地がせず、久し振りに関門タイムアウトを意識した。86km以降の下り坂を駆け下りて挽回出来たものの、完走タイムは13時間近くと、サロマ湖100kmウルトラマラソンなどのようなフラットな100kmであれば10時間30分で完走できるのに、2時間30分も多くかかってしまった。
ここ最近のウルトラマラソンでは100kmを当たり前のように完走できるようになってきたので、完全に自分の走力を完全に過信していた。上り坂を走る事ができない自分はこういうトレイルみたいなアップダウンが多いレースにはまだまだ通用しないことを思い知らされた。
走っている最中、登り坂で四苦八苦している自分を客観的に見て、2週間後に出場予定の日本屈指の山岳ウルトラとして有名な「村岡ダブルフルウルトラマラソン」なんて、この大会よりもコースがキツイだろうから、今の自分では時期尚早と判断してDNSにして、シルバーウィークはゆっくりしていようと心に決めていた。
が、終了後1週間もしないうちに、
「ここで逃げ出したら、一生後悔して、他のマラソン大会で村岡のTシャツを着ているランナーを見ると負けた気分になるので、DNF覚悟で挑戦してみよう。まぁ何とかなるだろう。」
と思うようになってきた。
何よりも平日の仕事がマラソンに比べるとつまらない上に忙し過ぎてストレスと疲れが溜まるので、新しい刺激がまた欲しい。久し振りに極限状態を味わったので、あれをまた味わいたい。根っからのドMだなぁと実感。
今回、これまで以上に完走後の自分に克った勲章でもある筋肉痛がひどかったのだが、これが癒えればまた脚力が強くなる。そして、今回この苦しみを乗り越えたことでメンタルも強くなった。良い経験をさせてもらった。
と、前向きな気持ちになっていたものの、この2週間後の「村岡ダブルフルウルトラマラソン」では更なる『地獄』を見ることになる・・・