高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 びわ湖周遊ウルトラマラニック:130km地点でDNF!

2017年9月8日土曜日、「びわ湖周遊ウルトラマラニック」当日。
滋賀県のマラソンに出場した事が無く、探してみても出場したい大会が無い。
滋賀県と言えば、びわ湖毎日マラソンがあるが、エリートランナーしか出場できない大会なので、生涯をかけても出場なんて叶わないので、鼻から諦めて探していたところ、日本100マイルクラブが主催する本大会を見つけた。
それ以来、東海道新幹線で大阪と地元の岐阜、大阪と東京などを行き来して琵琶湖を見掛ける度に、「いつか琵琶湖を自分の脚で1周出来たらなぁ」と憧れていた。その実績が出来たら、一生、琵琶湖を見る度に自信がつくのは間違いない。
そして、小江戸大江戸200kで2回、200kmを制した実績が出来た今、自信もできたし、準備は整った。
時は来た、挑戦するなら今しかない!
9月7日金曜日に仕事を早めに終わらせて、何にもない瀬田駅の前のホテルに前泊。
土曜日になってスタート地点の駅前に集まると、出場ランナーは30名程。
さすが、こんなクレイジーな大会に挑戦しようという変態ランナーはこれくらいか。
びわ湖周遊ウルトラマラニック」とは、2017年9月9日から10日にかけて開催された大会で、大津市近くの瀬田駅を出発し、時計回りに琵琶湖を1周200km、通称「ビワイチ」を定番の自転車ではなく、自分の足で走ろうというクレイジーな大会。
JR瀬田駅→瀬田唐橋→石山寺浜大津→今堅田近江舞子→新旭風車村→今津浜→海津大崎→奥琵琶湖→奥びわスポーツの森→長浜→彦根長命寺→マイアミ浜キャンプ場→琵琶湖大橋近江大橋→ニューびわこ健康サマーランド

30名で円陣を組んで。瀬田駅前をぞろぞろとスタート。緩いカンジがまた良い。



スタートしてしばら瀬田の唐橋という有名な観光スポットを過ぎる。


この橋を渡ったら、延々と長い長い琵琶湖の西岸を北上する事になる。

こちらも有名な石山寺を過ぎる。
ここで最初のエイドがあって、通過時間を手持ちのメモと大会側の車に貼付してある名簿に手書きで記載。これもこの大会ならではのスタイル。

琵琶湖に架かる2つの橋のうちのひとつ、近江大橋を過ぎる。

かつて宿泊した事がある、大津の象徴ともいうべき建物のびわ大津プリンスホテルも過ぎる。

浜大津の市街地を過ぎて、延々と西近江路を北上。
比叡山坂本雄琴堅田を過ぎて30km過ぎのびわ湖大橋に行くための大きな交差点のセブンイレブンの前で2つ目のエイド。

しかし、暑い。暑過ぎる。
9日は、残暑によるかなりの暑さで、たった30kmしか走っていないのに、前半から歩きが入ってしまうくらい、苦しい展開だった。
蓬莱駅の手前で、交通量の多い県道から離れて、琵琶湖にこれまでで一番近い道路を走る事になった。
暑さにやられて苦しい展開でペースも上がらないが、この風景を見られてホッとした。
この湖岸に家を建てて住んでいる方々は、毎朝、この絶景を見られて幸せだ。


日中は暑くて暑くて、志賀駅を過ぎた自販機では水を買って頭から被り、自販機を見つけてはコーラを買ったりして水分を補給しながら変わり映えの無い田舎道を前に進んだ。
湖西線近江舞子駅下のエイドでひと休みした後は、交通量が多い国道161号線に合流して、国道161号線の殺風景な風景で延々に続く道路を前に進む。
高島市に入って、有名な白髭神社の前も過ぎる。


その後も、湖周道路を進む。琵琶湖沿いにはたくさんのキャンプ場があって、家族や仲間達の憩いの場のようだ。などということを考える余裕は無かった。
広大な田園地帯に一直線に続く道路に木々が立ち並ぶ風景。ここのところカメラを持っているのに撮り所が皆無だったので、久し振りにカメラで収めた。


かつては道の駅だったらしい風車がある場所でエイドカーが停まっていてひと休み。
その後は、沿道に桜の木が等間隔で並ぶ道路。木に番号が振ってあって、結局、654本もあった。後から調べてみると、この辺りは春になると、花見客の人気スポットだそうだ。
ほとんど来た事が無かった湖北地方はいろいろな観光スポットがあって楽しそうだ。これはいつかまたゆっくり来てみたい。

琵琶湖の最北端はまだか。
ずーっと北上を続けているのだが、彼方にようやく右折する海津大崎が見えてきた。

近江今津を越えた辺りから日が暮れ始めて暑さはマシになったものの、交通量が少ない湖周道路なだけあって街灯が無い為、ヘッドライトが必須になってきた。いよいよ真夜中の闘いになる。
真っ暗な道をライトを頼りに走って、マキノを過ぎた辺りでようやく右折。
長かった琵琶湖西岸ステージがようやく終わった。
海津大崎の湖岸道路を走って、トンネルの手前のエイドでひと休み。
このエイドでお話させて頂いたのをきっかけに、大浦の交差点で左折するまでの数キロを一緒に走らせて頂いたミズカイさんと走っている間は、ここまでの苦しさを忘れて、マラソン談義をしながら楽しく走る事が出来た。
お話を聞いていると、自分以上のご実績もあるし、フルではサブスリーも達成されている事を聞いて、ここは暑さにやられてペースが上がらない自分と一緒に走ってもらっていては申し訳ない、と恐縮してしまって、交差点を左折したところで先に行って頂くことにした。
今思うと、ここでムリにでも一緒に付いていけばよかったと後悔。既にここの時点で心が折れてしまっていて、自分との闘いに負けていた。
ただ、この数キロを一緒に走らせて頂いた縁で知り合ったミズカイさんとは、この大会の後、とてもお世話になる事になる事はこの時は知る由も無かった。
たった数キロをご一緒しただけなのに、すごい縁だ。マラソンは、何があるかが分からなくて面白い。

再び1人になって真っ暗な道路を歩きも交えながら前に進んだ。
国道303号線沿いを走って、トンネルに入る道路を外れて真っ暗な山道へ。
「本当にこれがコース?」と疑いたくなるような廃道のようなコースで、頂上に達すると立ち入り禁止と書かれた柵も越えたトンネルの先に近江塩津の街が見えてきた。
塩津の町にある久し振りのローソンでひと休み。
塩津街道を走って、飯浦にあるエイドでやっと約100kmを越えた。こんな長くて辛い100kmは久し振りだ。こんなに歩いてしまった100kmも久し振り。
そして、賤ケ岳の峠を越えて、麓にある木之本にやって来た。
200kmを通して唯一とも言える、琵琶湖北岸のアップダウンコースを終え、ようやくこれまでにも何度も来た事がある、土地勘のある琵琶湖東岸エリアにやって来た。
この辺りを自分の脚で走るのをスタート前は楽しみにしていたのだが、残念ながらそれを楽しむ余裕はこちらには全く無し。
前半の暑さで体力を奪われてしまって、全然ペースも上がらず、歩きも入ってしまって、どんどんタイムロスしてしまっていた。
エイドがある奥びわスポーツの森のエイドに到着した頃には、疲労困憊で時間も使ってしまい、エイドの関門時間迄に1時間の猶予も無い状況に。
心は折れておらず、足も残っていて走る事はまだまだできて前に進む事が出来るものの、相変わらず、全くペースが上がらず、歩きも入る体たらくで、そんな緊張感も無いダラダラした状況であった事もあって、眠気が襲ってきて走りながら頭がボーっとしてしてきた。
関門時間に余裕はない状況なのに、眠気に負けて、とうとう湖岸道路沿いにあった大きな看板の下で仮眠を取る事にした。
数十分仮眠して眠気は回復したので、再スタートし、見覚えのある長浜市の市街地に到着した。
しかしながら、ペースは上がらず、9月10日の午前4時過ぎ、次のエイドで長浜市を過ぎたところにある、130km地点の道の駅・近江母の郷のエイドに着いた頃には関門時間を数分過ぎてしまって、関門タイムアウト
大会側よりそれを告げられた時は、爽快な気分ですぐに受け入れられた。
前半の暑さにやられて歩きも入り、130kmも走らないうちから小江戸大江戸200kでは打ち勝った「眠気」に負けて、途中で寝てしまっているようでは完走は出来ない。
制限時間32時間という短くて厳しい設定を完全に甘く見ていて、気づいた頃には手遅れだった。確かに小江戸大江戸200kの制限時間は35時間で、もっと余裕があった。
それに、小江戸大江戸200kとの大きな違いは、こちらは風景がほとんど変わらずに殺風景なコースがほとんどであるところ。小江戸大江戸200kは街中を走って変わり映えがあって辛さを忘れられたのだが、こちらはそういった楽しみが無いので、この辛さを乗り越えられる精神力が必要とされる事を痛感した。
そして、何よりも自身の実力不足が一番の原因だ。
初出場故の洗礼を浴びて残念な結果になったが、今年は暑さという過酷な条件もあって、出走者25人中、完走者はたったの5人というから、自分なんて完走出来るワケがない。
日本一の琵琶湖はやはり広かった。ノープランで臨んで完走できる程、甘くはない。

関門タイムアウトになった「道の駅・近江母の郷」で預けていた荷物を受け取り、ベンチで仮眠。
ひと眠りして休憩した後、徒歩で最寄りの駅である米原の隣駅である北陸本線坂田駅から帰阪した。
こうして、2017年で2度目、生涯で3度目となる超ウルトラマラソン、200kmへの挑戦は、あっさりと終わってしまった。
ここ最近は完走出来なかった大会は無かったので、今回、久し振りのDNFを味わって悔しさはあったものの、自分の実力の無さを思い知らされたので、挑戦して良かった。
それに、来年のG.W.の萩往還250km挑戦という大目標を先日のクリック合戦で破れて失ってしまっていた失意の自分にとって新たな目標が出来、逆に嬉しい気持ちも湧いてきた。
来年、改めて再挑戦だ。
今度は何としても完走してやるという気概としっかりとした対策を立てて。
今思うと、「こんな状態で完走できるかなぁ・・・」という不安な気持ちで本大会に臨んでいたので、スタートした時点で自分に負けていて、こうなる事は見えていた。
一番の原因は、走力でも脚力でも体力でも無く、自分自身のメンタルだった。
未踏だった滋賀県で、44県目の制覇…ならず。無念。