熊野街道、天満橋から泉佐野までをラン
2020年3月29日日曜日。
不要不急の外出自粛の要請が出ている大阪において、土曜日は雨ということもあって自宅で自粛したので、雨が上がった日曜日の朝はランニング。
今回のコースは、以前から気になっていた熊野街道。
大阪の歴史街道巡り。
これまでに走った暗越奈良街道、大道・竹之内街道、長尾街道に続いて、次は熊野街道に目を付けた。
熊野街道のスタート地点は、自宅近くの天満橋の渡辺津であることを知り、俄然、興味が湧き、一度走ってみたいと調べ、ホームページで探してみた。
天満橋から終点の和歌山市海南市まで走っていたら、それこそ大がかりになるので、途中の泉佐野市のりんくうの湯迄のコースを調べた。
まずはスタート地点の天満橋の渡辺津。いつも大阪城公園から中之島公園に走って行く時の途中にある熊野街道の起点である事を示す石碑。
何度も見慣れている天満橋からの中之島のオフィス街などの眺めと八軒家船着場の常夜灯。
3月末なので、桜も満開。今年は花見どころじゃない。毎年のことなので、今年は諦めるしかない。
天満橋をスタートして、土佐堀通に出たところで、早速、熊野街道の石碑を発見。
この先も熊野街道上にはところどころに道標となる石碑が建てられていた。
ホームページの地図を見ながら走ったものの、熊野街道は裏道がとにかく多いので、地図だけでは分かりにくいのだが、道中、こういった道標がたくさんあったので、意外と分かりやすかった。
天王寺の手前、谷町筋から1本裏に入った道で、満開の桜を無料で公開してくれているお寺を発見。
あべのハルカスを過ぎた阿倍野橋の交差点では、ひときわ大きな熊野街道の道標を発見。
分かりやすい道標があるから安心、と油断していたこともあり、あべの筋を南下していたところ、松虫の交差点でいきなりロスト。
細い裏道に入って行かないといけないのに、あべの筋をそのまま南下してしまって、熊野街道を外れてしまった。
スマホでGoogleマップを見ながら、何とか大阪市と堺市の境にある大和川を渡るところで熊野街道に復帰。
堺市に入った。
堺市に入った直後、熊野街道の道中にある熊野九十九王子、という数多くある碑のひとつ、境王子を発見。昔は「堺」のことを「境」と書いたのかな。
堺市に入って、仁徳天皇陵古墳に至る前でのコースが分かりにくく、少しさまよったものの、竹之内街道と西高野街道の道標を発見し、その先に仁徳天皇陵古墳を発見。
歩道橋の上から仁徳天皇陵古墳を見た眺め。案の定、地上から見たのでは、池の中にあるただの林だ。
しばし、日本一の古墳で世界遺産である仁徳天皇陵古墳をの周りをランニング。
この辺りに来るのはいつぞやに出場した堺シティマラソン以来。
空か見たら、お馴染みの前方後円墳の形をしているんだなぁ、と思いを馳せた。
堺市に入ってしばらく熊野街道の道標が無かったが、仁徳天皇陵古墳を過ぎた辺りから再び熊野街道の道標が復活。道標だけではなく、看板も出てきて有難かった。
大鳥神社を通過して、鳳駅前の商店街の中もラン。
和泉市に入って、泉北有料道路の下でこれまた大きな熊野街道の道標を発見。ここまで27km。
ここから先は特に見所も無く、街道沿いにある王子を見つけながらのラン。
北信太(しのだ)駅と信太山駅の間にある篠田王子。「信太」を「しのだ」とは読めないが、どうやらこれも昔は「篠田」だったようだ。
その先にある平松王子も発見。
岸和田市に入る手前で井ノ口王子も発見。
岸和田市に入って、半田の一里塚を過ぎた辺りからコースがぐちゃぐちゃしてきて、地図とにらめっこ。
水間天神に行くために、貝塚駅から出ている水間鉄道を過ぎた辺りから熊野街道が分からなくなってきたので、ゴールの泉佐野もすぐ近くだし、ここは熊野街道を外れて次の目印である最後の王子、佐野王子を目標地点に設定してルート検索をし、最短路で目指す事にした。
そうして、国道から離れた場所の民家の裏手にある佐野王子を発見。
最後の王子を拝む事が出来たので、ここで熊野街道からは離れ、泉佐野駅を通って、ゴールであるりんくうタウンへ。
そして、りんくうタウンの観覧車の下にあるりんくうの湯でゴール。
52kmのラン、6時間半もかけてしまい、走り過ぎてしまったが、地図を見て迷いながらの知らないコースを道標を辿りながらの彷徨いランは楽しかった。
ランを楽しんで、最後は温泉でサッパリは最高のコースだ。
これまで遠征してレースに出て刺激を受けてきたけど、それがなくなり、在宅勤務続きで平日がつまらない分、こういった非日常さがそれだけで刺激的で、最高の1日だった。
昔の人々が通った歴史を感じながらのラン。
関西にはまだまだ歴史街道があるので、このレースが無い自粛期間中にいろいろ巡ってみよう。