高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

太陽の道ウルトラマラニック200㎞:無念の170㎞でのDNF・・・

2020年9月11日金曜日、遂に太陽の道ウルトラマラニック200㎞の日がやって来た。

新型コロナウイルスの影響で軒並み大会が中止になり、計らずも2020年の最長距離のレースになってしまった。

2月の小江戸大江戸200k以来、半年振りの超ウルトラマラソンで、レースが無い事でモチベーションが上がらず、全然走れていなくて体重は増え気味・走力は落ち気味、しかも在宅勤務続きで腰の状態も万全では無く、半年前とは程遠い状態。

しかも、完走者の方から必須と聞いていた試走も、3月の東海自然歩道長谷寺~松阪城、4月に浜寺公園長谷寺、直前に長谷寺~室生ダムはしたものの、半年前の試走のルートを覚えているか、松阪城以降のコースは初見で大丈夫か、と不安ばかりの状態で、当日を迎えてしまった。

「不安に思っていても仕方が無い。行けるところまで行こう。」

という想いで、金曜日は有給休暇を取得していたものの、溜まっている仕事をした後、長丁場の闘いに向けて寝ようとするも、高揚して早い時間に眠る事など出来ず、眠れたのか眠れていないのか分からない状態で移動時間になってしまった。

 

20時過ぎに浜寺公園に移動。

同じ電車には3、4月の試走でお世話になったタカマツさんも一緒だった。

浜寺公園駅前には既に多数の参加ランナーが集まって準備されていた。

これまでも何度もご一緒したナトリさんやウサミンさんとご挨拶しながら、自分も準備完了。

21時半スタート、22時スタート組を見送って、自分は何故か22時半のレイトスタート組の4人に選ばれてしまった。

走りながらお話を聞いていて知ったのだが、ご一緒した他の3人は、太陽の道はもちろん、その他の日本100マイルクラブの超ウルトラも完走されている、超ベテランの方々であった。

太陽の道は初参加であり、その他の日本100マイルクラブのレースで実績の無い自分が、何故、レイトスタート組に選ばれたのだろう、と今考えても不思議だった。

4人で浜寺公園の駅前で待機して、22時半にスタート。200㎞の旅が始まった。

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スタートしてベテランのお三方について走っていくも、さすがにペースが速い。

しかも、トレランバッグのチャックがしっかり閉まっていなかったようで、走っている途中で携行補給食がポロポロ。

それを立ち止まって拾って保管し直したりしていると、あっという間に置いてかれてしまって、最後尾からのぼっちランになってしまった。

速いペースについていくよりはマイペースでゆっくりついて行った方が良いので、1人で黙々と深夜の堺市などを東へ進んだ。

4月に試走をしておいたお陰で、出雲大社大阪分祠8.7㎞を過ぎた後の萩原天神の分かりにくいコースなども迷うことなく進めた。

まさか、スタート早々にぼっちランになるのは想定していなかったが、試走しておいて本当に良かった。

心の中で「ご一緒したタカマツさん、ありがとう!」と叫んでいた。

最初のエイドがある、富田林市のさくら公園で前を行くお三方に追いついた。

近鉄貴志駅18.2㎞を過ぎ、太子町に入ってくると、緩やかな登りが始まった。

ペースの早いナカタニさんとアサダさんにはついていけないので、何度も太陽の道を完走されているベテランのワタナベさんの後をついていき、二上山の麓になる竹之内街道沿いの道の駅のエイドに到着。

ここから二上山への登山だ。

試走で登った時、結構、急登だったので、苦手意識があったものの、ゆっくり登って雌岳と雄岳に到達26.0㎞。

試走の時には雌岳の山頂からの夜景をゆっくり見ていたが、今回は先を急ぐ。

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暗闇の中をヘッデンを頼りに駆け下りて、二上神社口駅過ぎのぽっくり寺前のエイドに到着。

二上山の登り、前について行った事もあって、やっぱりキツかった。

さて、ここから奈良盆地を横断するフラットなコースが続く。

五位堂駅、築山駅33.1㎞を過ぎ、飯高町交差点のエイドでひと休み。

多神社39.6㎞を過ぎると、奈良盆地もあと少し。

箸墓45.7㎞に到着する頃には夜が明けた。

午前5時が箸墓の関門時間と聞いていたが、レイトスタート組4人、誰も午前5時迄に到着できず、揃って5時半に到着した。関門時間はあくまで目安で過ぎても大丈夫とのことで安心した。

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箸墓まで来ると、アーリースタートや通常スタートのランナーの方々にも追いついてきた。

三輪山の麓にある山の辺の道を走って、桧原(ひばら)神社や挟井(さい)神社、大神(おおみわ)神社48.7㎞を通過。

山の辺の道を走るのは3度目なのでお馴染み。

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山の辺の道が終わり、国道165号線沿いにあるローソンは大変貴重。

ここを過ぎると、松阪に至るまでの約100㎞に亘って、コンビニをお見掛けする事はない(比津で少しコースアウトすればファミマはある)。

前を走っていたランナーの方々と一緒に駐車場に腰掛けて、食事をして、携行補給食を補充した。

今思うと、前を行くランナーについていかないと!と、何故か終始焦っていて、食事も慌ただしくままならなかった。

やはり、初参加であるが故にペースが分からず、前についていこうと焦っていたのだろう。

ここで急いだって意味が無いので、マイペースでゆっくり前に進んでいれば良かっただろうに・・・

久し振りのレースでその感覚を忘れていたし、初出場であるが故に勝手が分かっていなかった事が原因だ。

 

このローソンから長谷寺に向かう交通量が多い国道165号線沿いが苦手。歩道は細いし、凸凹で走りにくし、陽が昇って日陰が無い歩道は暑くなってきた。

長谷寺56.2㎞に到着。

さて、ここからが太陽の道の本番であり、約100㎞に亘って人気の少ない田舎道や峠越えの激しいアップダウン、トレイルのコースが続く。

ここまではあくまでも前哨戦だ。

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長谷寺を出た後、初瀬ダムに向かう途中の登り坂を登った自動販売機が複数あるところがエイド。

自動販売機もここから少ないので、しっかり水分補給して覚悟して前へ進む。

東海自然歩道に入るところも初見であれば分かりにくいのだが、試走でしっかり覚えているので、迷い無し。

登りなので、ペースダウンしながらも、高束城址61.5㎞、鳥見山自然公園64.2㎞はゆっくり歩いて登って前へ進んだ。

鳥見山自然公園からの下りの後の田んぼの中へ下りる道も分かりにくいのだが、しっかり覚えており、東海自然歩道を進んで山部赤人の墓前のエイドに到着。

この山部赤人の墓までの登りが地味にキツくてすっごい苦手。かなり疲れてしまった。

試走した時はあまりの暑さでここでへとへとだったが、今回は暑さは控えめだったのがまだ助かった。

山部赤人の墓からの急な下り坂を走って葛神社73.7㎞へ。

葛神社と国道165号線の交差点で少しだけコースを外れたところに自販機がある事をスタート前にウサミンさんに教えて頂いたので、早速、コースを外れてみると、すぐに自販機を発見。水分補給してゆっくりしていたら、どんどん置いてかれてしまった。

この後の室生湖沿いのコースも大嫌い。

ゆっくり走って室生ダム79.2㎞に到着する頃には前を行くランナーに追いついた。

先日の試走から苦手意識が強かった長谷寺から室生ダムまでのコースを乗り越えてホッとして、ここの自動販売機でも水分補給して再スタート。

そして、次は長谷川沿いの門守峠の山道を登っての峠越え。

ここのトレイルはなだらかだけど延々と同じような道が続くので飽きてくるが、ここは登っていて全然辛くなく、快調に早歩きで登る事が出来た。

そして、門守峠の最高点から登った距離の割には短い下り坂を下ると、室生寺がある集落に到着。

ここの日本の原風景のような雰囲気が大好き。試走で来た時からお気に入りの風景だ。

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室生寺前の辰巳屋という食堂で本来は昼食であるが、現在、コロナ禍で休業中のため、閉店している店の軒先のエイドで一服。

3月に来た時は店内でカレーライスを2杯食べたのが、それが出来なくて残念。

まともな昼食が食べられなかった分、試走の時にも食べた室生寺名物のよもぎ回転焼きを食べて前へ進んだ。

この後は再びトレイルだ。

先程の門守峠はなだらかでダラダラ長かったが、次のクマタワ峠92.2㎞は急で木々が倒れていたり、道が崩れていたりする悪路。

3月に来た時もこんな悪路だったっけ!?と思うくらい進み難い山道だったが、ここも快調に登れて前に進む事が出来た。

これくらいのトレイルなら得意かも。

クマタワ峠の最高点からの下りを駆け下りて、済浄坊渓谷入り口94.2㎞のエイドで一服。

3月に進んだ渓谷沿いの道は立ち入り禁止であったため、周り道の舗装路を下った。

下りきった曾爾村では、同じペースだったウサミンさんやワタナベさん、キタグチさんと一緒に、少しだけコースを外れたところにある売店カップラーメンを購入して、売店前のベンチで地元の方とおしゃべりしながら昼食にして再スタート。

室生寺でまともな食事が出来なかったので助かった。

太郎路の沈下橋を渡った後の公園には、本来はエイドがあるのだが、コロナ禍で今回は無しとのこと。残念。

ここから曾爾高原までは長い登り。

ここで多くの参加ランナーと合流して前へ進むことになり、集団で曾爾高原まで登った。

曾爾高原に向かう道がこれまた急峻な登り坂で、かなり疲れた。

曾爾高原の入り口101.8㎞に到着して、半年振りの曾爾高原の中を進む。

ここは秋になると、すすきが生い茂る風景が全国的に有名だが、9月ではまだ早過ぎだった。

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曾爾高原の亀山峠へ向かう階段の登りは3月の試走の際もそうだったが、一定の歩幅で登ることが出来るので登りやすくて得意。

100㎞を越えて疲れているはずなのに、ここも快調に登る事が出来た。

亀山峠の最高点から下る頃には日が暮れてしまった上に霧が出てきて山道が真っ暗になったので、ヘッデンを再装着。

いよいよ2日目の夜のスタートだ。

下りをゆっくり降りて山道が終わった後は、中太郎生(なかたろう)迄、同じペースで会ったキタグチさんと共に駆け下りた。その途中で雨が降り始めた。

そして、中間地点でもある中太郎生の丸八酒店の前106.8㎞に到着。

本来であれば、ここは休憩所で仮眠などが出来る民家があるのだが、今回はコロナ禍で仮眠できる民家が使えず、丸八酒店の前での休憩のみ。

しかも雨が降っているので、かなり窮屈な休憩所で、仮眠はおろかゆっくり休めなかった。

そんな状況なので、皆さん、休憩も程々に、闇夜の中へ再スタートされていた。

この後の2日目夜の闘いを考えると、仮眠しなくて大丈夫かが不安だったが、こんな場所では仮眠などしてゆっくりできないし、1人だけゆっくりしていたらエイドのスタッフの方々にも迷惑なので、自分も早々に再スタート。

小江戸大江戸200kなどの超ウルトラでも200㎞を走るのに仮眠はしないので、まぁいいか」という安易な判断であったが、それがこの後に後悔する事になった。

そして、この中太郎生のエイドでナトリさんやシマさんなど数名がDNFされてしまったので、自分は最終出発組でウサミンさん方と共に再スタート。

参加メンバーが20名にも満たない中に、ここまで来るのにDNF者が多数いて、この時点で10名程しか残っていないサバイバルな状況になってきた。

まさかこのペースで最終ランナーとは思いもしなかった。

この状況から、前に追いつかないと!という焦りが生まれ、オーバーペースになってしまった事も後から考えたら後悔のひとつだった。

丸八酒店を過ぎた登り坂の途中から最後のトレイルが始まる。

ここは単調な登り坂だけなので、真っ暗だったが比較的登りやすく、苦では無かった。

大洞山登山口が東海自然歩道なのだが、登山口をスルーして下り坂を駆け下りた老ヶ野交差点115.1㎞に着いた頃には雨は止んでいた。

老ヶ野川沿いの道を進んで八千代橋を右折。

ここを右折せずにまっすぐ行くとファミマがあり、3月にはみんなで立ち寄ったのだが、余計な距離を走ってタイムロスになるし、特に補給に困っていなかったし、前のランナーに追いつきたかったので、迷ったものの、ファミマには寄らずに前に進んだ。

前方に見えるお馴染みの緑のファミマの看板に立ち寄りたい気持ちを抑えながら・・・

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雨は止んだものの霧が残る闇夜の中、人っ子ひとりいない寂しい道を走って、比津バス停120.1㎞のエイドに到達。

ここでようやくワタナベさんとキタグチさんに追いついて、ホッとした。

・・・のも束の間、ここからが自分にとって地獄だった。

何かというと、「眠気地獄」。

2日目の夜で少しでも気を許すと眠くなってもおかしくない状況の中、比津峠の長い2.7㎞の登りを歩いて登っていると、急に眠気が襲ってきた。

何とかお二人について行けるものの、眠気でボーっとしてしまってかなり辛かった。

なので、最高点に達した後の下りは走って駆け下りて眠気を振り払い、下多気交差点124.7㎞に到着。

交差点を過ぎた後にある自販機で飲み物を買った後、やはり眠気が取れていなかったので、ご一緒していたワタナベさんとキタグチさんには先に行って頂いて、自販機の横に寝転がって仮眠。

もう眠気が限界だった。

「2日目の夜の登りがこんなに辛いとは・・・」と、2日目の夜の峠越えの恐ろしさを再認識。

10分程度仮眠して目が覚めると、そこには後続のウサミンさん方が追いついて来られていた。

これについていかないと最終ランナーなので、慌てて準備して再スタート。

この後の県道43号線も人も車もいない、横を流れる川の流れの音のみが聞こえる真っ暗な道を、歩くと眠気が再発するので、頑張って走り、西行寺前で左折(ここをまっすぐ行ってしまうと、元来た道に戻ってしまう無限ループ)。

本来は下中村バス停のT字路132.5㎞がエイドなのだが、雨も降っていた関係でその手前の売店の前でエイドが設置されていた。

そこでは、先行されていた全てのランナーがブルーシートの上などで寝転がって仮眠されていた。

追いついた事で安心し、自分も例に違わず皆さんと一緒にここで仮眠。

15分程度仮眠した後、皆さんと一緒に再スタート。

この後の清水峠も登りなのだが、ここは急であるものの短いので、眠気は訪れずにクリアでき、宇気郷小の自販機の前で休憩してから前へ進むも、ここでも眠気が完全に解消できておらずにかなり辛かった。

眠気が起こらないように、この後の単調な落合バス停140.9㎞(今はバス停は無し)迄のルートも頑張って走って、前を行く皆さんについて行った。

落合バス停を右に曲がると、緩い登り坂が続くため、歩き始めると途端にまた眠くなる。

そのため、辛いけどゆっくり走って登っていると、交差点でエイドを開設して下さっていた。

皆さんがそこで休んでレトルトカレーなどを食べられている横で、自分は眠気が耐えられなかったので、地べたにゴロンと寝転がって5分程度仮眠。

ここまで眠気に悩まされてペースダウンさせられるとは・・・。

眠気に振り回されている自分があまりにも情けなかった。

この後も眠気と闘いながら前に進み、堀坂山の家145.3㎞に到着。

松坂まであと少し!・・・なのだが、ここからがこのコースの中で最大で最後になる堀坂峠の急峻な登り坂。

3月に試走した時にここの登りがあまりにもきつくて鮮明に覚えていた。

暗峠に向かう国道308号線の激坂を彷彿とさせるくらいの坂だ。

2㎞に亘る登りは驚く程の急峻で疲弊しながら登り、そして登った後は約5㎞に亘る長い下り坂というかなりハードなコース。

いくら下りが得意といっても、その下りが5㎞も続けば、前太腿がパンパンになり、途中で止まって屈伸などしながら前に進み、夜が明けてきた午前5時半前にようやく松阪のコンビニ152.7㎞に到着。

ようやくここまで着た。もう足がパンパンで疲労困憊だった。

夜が明けてきて明るくなってきた事でようやく眠気が無くなって覚醒し始めたのだが、比津峠からここまで来るのにずっと眠気と闘っていてイマイチ記憶が定かでは無い中でボーっとしながら走っていて、本当に辛かった。

なので、ここに着いた時点で心の余裕がほぼ無くなっており、堀坂峠で脚が相当に疲れてしまっていた。

それに加えて、自分が最終ランナーであることへの焦りもあり、メンタルもフィジカルも全く余裕無しの情けない状態に陥ってしまった。

この時、夜明けの松阪には二重の虹が架かっていて、とても素晴らしいレアな光景が広がっていたのだが、その光景に感動を覚えず、写真を撮り忘れるくらい、心に余裕が無くなっていた。

かろうじて前を走るワタナベさんについていき、3月のゴール地点であった松坂城址158.7㎞に到着。

先程のコンビニで休んでいるうちに、参加ランナーは全員先に進まれていて、我々が最終ランナーなので、エイドも撤収前で飲み物が置いてあるだけの簡素なものだった。

 

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ここまでサバイバルレースであったが、まさか自分が最終ランナーとなるとは想定外だった。

これまでのレースで最終ランナー&関門ファイター(関門時間を気にしながら走ること)になった事が無かったので、その闘い方を知らず、ただただゴールの二見ヶ浦の関門時間・14時に間に合うのか、この状態で残り40㎞を7時間半で走る事が出来るのか、不安と焦りしかなかった。

とりあえず前に進むことにしたが、ここに一緒に到着したベテランのワタナベさんにはついていく気力が無く、最終ランナーとして1人で進む事になってしまった。

松坂城址からのコースは試走していなかったけど、何とかなるだろう、という安易な考え方が仇となった。

メンタルもフィジカルも余裕が無い中に地図をじっくり見ている余裕はなく、道が合っているかどうかが分からない中に走っている不安、最終ランナーである不安、このペースでゴールに間に合うのかという不安が一気に襲ってきた上に、松坂城址を出た後から雨が降り始めてより一層気が滅入る中に、雨宿りして地図を見ながら前に進んだ。

延々と続くロードを走って櫛田橋を渡った後に左折。

雨はより一層ひどくなり、雷もゴロゴロ鳴り始め、散々なコンディションになって来た。

その後、次のチェックポイントがある曲がり角がどこなのかが分からず、試しに曲がってみると漕代駅斎宮駅はもっと先、その先の角で曲がったら次のチェックポイントであるいつきのみや歴史体験館が見つからずで、雨の中にイライラ。

そこで、雨の中に地図を開くと、地図が雨に濡れてボロボロになり始めてルートが分かり難くなり、更にイライラが増すという最悪なメンタルの状況になってしまった。

迷いに迷ってようやくいつきのみや歴史体験館を見つけた頃には、松阪城址をスタートしてここまで10㎞程しかないのに、2時間以上も経過してしまっており、「こりゃダメだ。ここでのタイムロスはかなり痛い。これではゴールに間に合わない・・・」とがっくりと落ち込んでしまった。

この時点で9時を過ぎており、残り5時間で30㎞をこの状態で果たして走る事が出来るのだろうか、と思い始めた。

前へ進もうと一旦出発したものの、もし14時を過ぎてしまってサポートされている方々に迷惑をかけてしまうのは本望では無いと思い、立ち止まってマリリンさんにお電話をして自らDNF宣言。

そこから最寄りの斎宮駅に乗って二見ヶ浦駅に向かってしまい、斎宮駅までの170kmの地点で自分の太陽の道ウルトラマラニックはDNFで終わってしまった。

途中、同じくDNFされたお二人とお会いし、一緒にここまでの苦労を労いながら二見ヶ浦に電車で行き、荷物を受け取ってそそくさと帰阪するに至った。

これで自分の太陽の道ウルトラマラニックは終わってしまった。

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半年振りの超ウルトラマラソンでの疲れと筋肉痛はかなり激しく、これが完走していれば自分に勝った勲章であり、心地良い痛みであるが、DNFなので、ただただ痛く、心も痛いという最悪な状態だった。

 

今、冷静になって考えると、残り30㎞で残り時間が5時間しかなかったと言え、何故、最後まで闘わなかったのだろう、何故、自分で諦めて止めてしまったのだろうと激しい後悔しかないが、当時は前述の理由で心が完全に折れており、身体もボロボロで辛過ぎて、冷静な判断が全く出来なかった。

コロナ禍でレースが全く無い中、2020年内にある勝負レースが本大会だったのに、こんな結末になってしまった。

残念でしかないが、今回のDNFで自分の現状と向き合い、自身の弱さ(特に、メンタル)を痛感したので、しっかり反省して原因を見直し、来年は必ずリベンジだ!

 

【敗因】

  • 半年振りのレースで身体が鈍っていた(練習・レース不足による走力の低下や体重増加)
  • 半年振りのレースで超ウルトラマラソンの闘い方(辛い時の乗り越え方など)を忘れていた。
  • 松坂城址後のコースを試走していなかった。
  • 太陽の道ウルトラマラニックを舐めており、「絶対に完走する!」という覚悟が足りなかった。
  • 2日目の夜の峠越えで発生する眠気対策が出来ていなかった。
  • 関門ファイター・最終ランナーとなり、終始焦っていて、心の余裕が無かった。

 

そして、一番の学びは、関門時間に間に合わずで強制終了ならまだしも、自分からDNFを宣言してレースを止めてしまうことは、精神衛生上、好ましくない、ということ。

レースが終わった後、激しい後悔の念に苛まれることになる。

今になって冷静に考えれば、何故、残り30㎞を我慢しなかったのだろう、しかもトレイルではなく、ずっとフラットなロードで諦めてしまうとは、2020年最後の超ウルトラなので、辛くても我慢して乗り越えるべきだった、と思うのだが、当時はフィジカルもメンタルも全く余裕が無く、そのような冷静な考えが出来る状態では無かったのだから已む無し。

それだけ半年振りのレースで辛さに対するメンタルの耐性が衰えていたのだろう。

お陰で自分のメンタルの弱さを知る事が出来た。

この悔しさと後悔を胸に、来年はリベンジをしないといけない、と心に誓う、

 

しかし、数年前の琵琶湖1周マラニック200㎞も130㎞でDNF、今回も170㎞でDNFとは、日本100マイルクラブ主催の超ウルトラレースは本当に相性が悪い。

この2大会以外でDNFはした事がないのに・・・

それだけ難しいということだし、越え甲斐があるというものだ。良い目標が定まって良かった。