高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 回顧録

6月13日の三沢光晴急死から1週間が過ぎ、プロレス雑誌やスポーツ新聞のひと通りの追悼企画が終わったようなので、永久保存版として買い集めてみた。
在りし日の三沢を偲びながら、その栄光の軌跡を読み返していると、数々の名勝負が蘇ってくる。
三沢が二代目タイガーマスクだった頃は、あいにく世代ではなかったので、全然知らないが、1番の名勝負はやはり2003.3.2NOAH日本武道館大会、三沢光晴vs小橋健太のGHCヘビー級選手権試合。
この試合は素晴らしかった。
まさにプロレスファンの熱気と声援で、日本武道館が揺れた日だった。
チャンピオンの三沢が場外への危険極まりないタイガースープレックスやフィニッシュホールドであるエメラルド・フロウジョンを繰り出すも立ち上がってくる小橋。
必殺技を返された三沢に、小橋もここぞというときにしかみせない禁断の技、バーニング・ハンマーの封印を解いてて3カウント。
絶対王者・小橋健太が誕生した瞬間だった。
今でも記憶に新しい。あれ以来、2人の再戦が叶わぬまま、三沢が急逝してしまった。残念無念。
2つ目に思い出すは、2004.7.18両国国技館全日本プロレスへ逆上陸したときの三沢光晴vs小島聡
ノンタイトル戦でありながら凄い試合で、全日本の代表として負けまいとする小島が三沢のフィニッシュホールドであるエメラルド・フロウジョンを返したのに感動したのを覚えている。
普通ならこれで試合は決まっている。俺に限らず、ほとんどのプロレスファンが試合は終わったと思ったはずだ。
そんな予想を覆し、粘りに粘る小島に対して、三沢が最後に繰り出したのは、タイガードライバー91'。
通常のタイガードライバーとは違い、最後まで腕をロックしたまま後頭部を叩きつけるため、受身がとれない危険な技として封印していた技だ。
三沢も凄かったけど、試合には負けたものの全日本プロレスのプライドは守り、三沢に最終兵器の封印を解かせた小島、あっぱれだった。
このように、三沢が絡む試合は必ず名勝負になる。
あぁ、ああいう試合がもう観れなくなるのか。。。
禁断の技を持っているプロレスラーがいなくなってしまうのはとても淋しい。
謹んでご冥福をお祈りします。