高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 えちご・くびき野100kmマラソン:雨のウルトラ、無事完走!

10月9日日曜日、えちご・くびき野100kmマラソン当日。
朝5時のスタートに向けて午前2時過ぎに起きて、直江津駅前のホテルハイマートを出発。
天候は、案の定の雨。土曜日から続く天候の悪さは日曜日にも回復しなかった。
これほどの雨の中での100kmは、2015年の「OSAKA淀川ウルトラマラソン」「サロマ湖100kmウルトラマラソン」で経験して以来だ。
ウルトラマラソン隔週参戦の最終第3戦目にして、神様はもっとも過酷なコンディションを用意してきた。
でも雨くらいであれば、今日までに経験した「高野龍神スカイラインウルトラマラソン」「村岡ダブルフルウルトラランニング」での過酷さに比べたらどうってことない。
大会運営バスで直江津駅からスタート地点であるリージョンプラザ上越へ。傘を差しての会場入り。
出場ランナーの待機場所はとても広い室内だったので、雨の心配無く、スタート時間までゆっくり準備。
開会式も終えて、いよいよ雨の中、スタート。スタートの号砲が鳴る直前まで雨に濡れない場所で待機。


自分も雨の中のランに備えてレインコートを持ってきていたのだが、動きづらいし、蒸れるし、どうせ汗で濡れてべとべとになるので、スタート直前に脱ぎ捨ててスタート。

朝5時なので真っ暗で大雨の中に、テンションが高いたくさんのランナーが集団でぞろぞろと走る光景は異様。
「自分はいったい何をやっているんだろう」と思うのに十分なコンディションだったが、100km走った後、この想いが全て消え去り、感動と達成感に変わり、このスタートからゴールまでの過程が意義深いものになる。
夜も明けてきて明るくなってきたものの、雨が降る曇天なので、どんよりとした雰囲気の中、序盤は上越市内のフラットで何にも無い田園地帯をただただひた走る。

こんな大雨の中でも、地元のボランティアの方々はコース上やエイドステーションで朝も早くから我々ランナーを支えて応援してくれる。自分達は好きでこの雨の中で走っているのだから良いが、雨の中にこんなことはなかなかできない。ボランティアの方々には本当に頭が下がる。

とにかく序盤は何にもない田園地帯なので、カメラを持っていても特に撮るべき被写体が何も無し。
20km過ぎの清里区のエイドステーションに到着。
「あれ、上越市って政令指定都市だったっけ?」とレース中、ずっと気になっていたが、後から調べてみたら、地方自治法上、上越市のような政令指定都市ではなくても、区は置けるそうだ。ただ、東京都の特別区政令指定都市の区とは違い、「合併特例区」というそうだ。2005年に高田市と直江津市が合併してできた「上越市」は、市町村の合併の特例等に関する法律(合併特例法)に基づく地域自治区制度を初めて導入した市で、地方自治法に基づく28の地域自治区を設置しているそうだ。

そして、牧区に入ってくると、フラットな田園地帯を過ぎ、いよいよコースが登りになってきた。第1関門の牧区総合事務所で40km地点。

そこを出た途端に走っては登れないくらいの急峻な登り坂が待っていた。写真ではよく分からないが。
まだ半分も走っていないので、時々歩きながらも頑張って走って登った。

山道にはこの大会の名物である沿道の案山子の応援。地元の方々がこの日のために作成してくれたようだ。区を挙げての応援・おもてなしが嬉しい限り。

牧区の山道にある大きな登り坂を2つ、時々歩きも入りながらも走って登った。「登り坂があれば、下り坂もあり」という事で、得意の下り坂は登り坂でペースが落ちた分、一気に駆け下りて、中間地点の50km地点に安塚B&G海洋センターに到着。
登り坂は2つあったけど、下り坂で爽快に走る事が出来た分、あんまり疲れていない。この頃になると雨も止んで暑くなくて良い調子だった。
地元の方々から手際良く中間地点の荷物を受け取って速攻で着替えて再スタート。

中間地点を過ぎてすぐに本大会3つ目の登り坂がやって来た。
ここまでに経験した高野龍神スカイラインウルトラマラソンや村岡ダブルフルウルトラランニングの坂道に比べたらなだらかだったので、ここもゆっくりながら走って登った。
その途中、ゴールドナンバーの本大会1番のゼッケンをつけているランナーとすれ違った。
ゴールドナンバーは本大会10回完走者。本大会は2年に1回の開催なので、つまりこのゴールドナンバーになるのに20年かかっている証拠。信じられない。

坂道を登りきって牧区から大島区へ。地元の方々の方言のメッセージが嬉しい。

そして、この辺りの山道に広がる棚田などの緑豊かな風景。日々、都会で過ごしている自分にとって、何にもないこの風景があまりにも新鮮で、非日常で、癒された。自分はこれを求めていた。


エイド毎で振る舞われる地元の方々のおもてなしも素晴らしい。自分はマラソン中は固形物は食べない主義なので、食べないけど、その心配りが嬉しい。

間髪入れずに本大会4つめの登り坂である、細野吹切峠にやって来た。
この峠の登り坂はここまでの登り坂の中でも最も急峻だったし、レースも後半に入ったので、さすがにここは走って登るのは諦めて、攻めの歩き(早歩き)で登る事にした。
峠の頂上で、大島区から安塚区へ入った。これで本大会の中盤に連続していた4つの登り坂を制覇だ。


下り坂を駆け下りている時、ここまでに止んでいた雨が再び降り始めた。しかも通り雨の豪雨で半端無かった。
もうここまで来ると汗でウェアはべとべとだし、雨なんて関係無し。むしろ、天然のシャワーを浴びられて気持ち良かった。

山を下りてきて、浦川原区に入り、人家が見え始めてきた70km手前。地元の方々のメッセージが書かれた張り紙に応援で元気づけられた。

そして、本大会最後の登り坂。ここまでの坂道に比べたらなだらかで距離も短く余裕だった。吉川区へ入った。
この坂道を越えれば、あとはゴールまでずっとフラットだ。
以前であれば、それが嬉しかったのだが、フラットはフラットでずっと走っていないといけないので、最近はあまりテンションが上がらなくなった。
ここのところの過酷なコースの経験で、坂道などのアップダウンがあった方が、コースに変化が富んで面白いと思うようになった。
登り坂は確かに辛いけど、その後には得意な下り坂が待っているし、疲れてきたら歩いて登って体力を温存できて気分転換になるし、数kmを我慢して登ればいいだけなので、登り坂に対するネガティブなイメージが無くなってきた。

5つある登り坂を全てクリアして残すはフラットなコース。山側から日本海に向かって、交通量が多い県道沿いの歩道をどんどん走る。
80km手前の吉川区総合事務所に到着。


第4関門でもある85km地点の柿崎区総合事務所に到着。延々と続くフラットな県道を走ってきたが、日本海ももうすぐ。

そして、信越本線が走る日本海沿いにやって来た。

しばらく日本海沿いを走って90kmを過ぎた。すっきりしないどんよりとした曇り空に荒々しい日本海。まさにイメージ通りの日本海だ。この光景を見ながら走る事が出来たので、今日のコンディションも良かったかも。


92km地点の最終関門である大潟区老人福祉センターに到着。
通常のウルトラであればエイドで何も食べないのだが、残り8kmだし、あまりにも美味しそうだったので、ここのエイドの名物の海鮮汁をいただいた。雨で冷えきった身体も、疲れでやられていた胃も温まって回復した。

そして、最後は日本海沿いから内陸に入って95km地点。

ゴールまであと1km。

頚城(くびきってこう書く)区にあるゴール地点のユートピアくびき希望館に向かうゴール直前の一直線のウィニングロード。
沿道の方々が「おつかれさま!」「おかえりなさい!」と拍手しながら出迎えてくれて、とても嬉しく、ここまでの努力が報われた感になった。
今写真を見直すと、残り1km地点から一気に日が暮れてしまっていることにびっくり。

えちご・くびき野100kmマラソン、無事ゴール!
完走タイムは11時間47分。コース中盤に5つも登り坂があるとやはりタイムは出ない。後半のフラットでは疲れで胃をやられてしまって、走れなくはないものの、ペースを上げられずに時間がかかってしまった。

ゴール直後、カメラを持ったカメラマンとアナウンサーにインタビューを受けた。
コース終盤にもコース上にちらほらいたのだが、どうやらこれは大会前に申し込む事ができる本大会のダイジェストDVDのための撮影のようだ。
こんなサービスは始めてで自分も申し込んでおいたおかげで、ゼッケンから自分を見つけて声を掛けてくれたようだ。

と、完走の余韻に浸って、ほっとひと安心していたのも束の間、時計を見ると、やばい事に気づいた。
日曜日中に帰阪するための上越妙高駅18時35分発の北陸新幹線の最終便に乗るためのゴール地点から上越妙高駅までの無料シャトルバスが出てしまっている時間だった。
疲れた身体で慌ただしく着替えて、ゴール地点に待機していたタクシーに乗って上越妙高駅に向かい、お金はかかったけど(約5,000円)、無事、予定していた最終便に乗って帰阪する事ができた。
北陸新幹線金沢駅で乗り換えたサンダーバードの中で、今回もドラマがたくさんあった本大会を振り返った。
ゴールした後、60kmの部に出場された新潟が地元のラン友が自分を見つけてくれて、お互いの健闘を讃え合った。最終便に間に合う為に慌てていたので、ゆっくり語り合う事ができず申し訳なかった。
本大会は珍しく、100kmの部と60kmの部でゴール地点は同じであるものの、ここに至るまでのコースが全く違う。通常はどこかで合流したりするのだが。
100kmの部は何もない田園地帯と山の中が中心で精神力も脚力も試されるコースなのに対して、60kmの部は上越市の観光スポットである春日山や高田城などを巡る観光ランだったようだ。でも、その分、100kmの部にはそれを補って余りある程の沿道の応援とおもてなしがあった。
ゴール直後、完走の余韻に浸っていると、ボランティアの中学生が完走して疲れきっている自分のところに来てくれて、「完走賞を発行してきますね」「スープはいりませんか?」「毛布はいりませんか?」と声を掛けてくれ、この後の荷物預かり場所では「荷物を持ちましょうか?」と、至れり尽くせりのおもてなし。
こちらが恐縮してしまうくらいのこんなサービスを受けたのは、これまでに出場したウルトラの中でも初めてでびっくり。
自分達のような好きで長時間大変な想いをしている変わり者に対して、彼らはボランティアで長時間待っていた上にここまでのおもてなしはなかなかできない。
中学生なのに、こんな気配り・配慮が出来るなんて、どういう教育を受けているんだろうと不思議に思った。自分が中学生の時にはこんな事は絶対に出来ていない。
この大会は地元の方々の認知度が高いようで、コースを通して、地元の方々がずっと自分の目を見て応援してくれ、ボランティアの方々も積極的に声を掛けてくれる。
本当に地元に愛されていて、ホスピタリティ溢れる大会だった。
なるほど、リピーターが多いとウルトラランナーの間で言われている所以がよ〜く分かった。
ゴール後、慌ただしくしてゴール会場を離れてしまったので、後泊をしてもうちょっとゆっくりしても良かった、と後悔。2年後も出場しようかな・・・またエントリーが始まったら考えるとしよう。


今回の完走メダルは、紫を基調にしたデザインで、上杉家の家紋に、上杉謙信が軍旗に使用していた漢字2文字。「毘」は謙信が信仰していた毘沙門天から一文字取ったもの、「龍」は総攻撃の合図に使用されたものとして有名らしい。かっこいい。
そして、これで2016年秋冬シーズンに挑戦した「高野龍神スカイラインウルトラマラソン」「村岡ダブルフルウルトラランニング」「えちご・くびき野100kmマラソン」のウルトラマラソン隔週参戦を全て完走で走る事が出来た。
仕事がかなり忙しくて走り込みがままならない中に、大変ハードなコースであった3大会を全て完走できたことに自信がついた。
我ながら丈夫な身体になったものだ。でも、ウルトラマラソン隔週参戦なんてバカげた事はもう止めよう。もはや身体の健康のためやストレス発散のためというレベルを超えていて、身体を不健康にしていそうだ。

後日、事前に申し込んでいた大会ダイジェストDVDが自宅に届いた。
自分のゴール時の写真がカバーにプリントされていて、まさに自分だけのDVDだ。
映像の中でも、92km地点のエイドで海鮮汁を食べている時にインタビューされた時の映像と、ゴール直後にインタビューされた時の映像が映っていた。
こういったサービスは初めてで、微笑ましかった。これは良い思い出になる。