高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 百々ヶ峰、何十年振りかに登頂!

5月31日からの土日は、諸事情で地元・岐阜に帰省しなければならず、はて、毎週日曜日の早朝ランニングはどうしたものかと悩む。
せっかく日曜日に岐阜にいるので、「地元・岐阜市長良の象徴でもある金華山もしくは百々ヶ峰に登ろう。金華山は昨年の夏に登ったので、ここは百々ヶ峰だ。」と思い立った。
長良川を挟んで金華山(328.9m)の北側に位置する百々ヶ峰(417.9m)
子供の頃に何度か登ったことがあるが、何十年も前のことなので、両親に聞いたり、ネットで探ったりと久し振りの百々ヶ峰を下調べ。
百々ヶ峰は、岐阜城があって観光地化している有名な金華山より90mほど高いにも係わらず、地元市民の認知度は低いが、最近は東海自然歩道が通っており、トレッキングを楽しむ方々が多いとのこと。よし、じゃあ自分も百々ヶ峰で久し振りのトレイルランニングだ!
6月1日日曜日朝、この日も初夏の陽気で暑くなりそうで、昼前には帰ってこないとやばいことになりそうだ。そこで、早めに出発。
百々ヶ峰には、三田洞弘法ルート、松尾池ルート、松籟団地ルート、西山4号墳ルート、岐山高等学校裏ルート、諏訪神社ルートといろいろあるが、子供の頃、何度か登った記憶がある自宅から一番近い岐山高校の裏から登るルートを選択。
何十年も前の記憶を頼りに、山際の団地や住宅街をウロチョロし、登り口を探す。
朝っぱらから汗だくのランニングスタイルの輩が家の周りにいて、相当怪しまれていたハズだ。
迷いながら登り口らしき場所をようやく発見。
子供の頃の記憶と全く違う。周りには家が建っているし、草が鬱蒼と茂っていてそりゃ分からないワケだ。
よし、ペットボトルを片手に、さぁ登山開始だ。

この岐山高校の裏のルートは、かなり狭い上に、道案内が全く無くて、登山者にとってちょっと優しくない。
登り始めていきなり道を間違えてしまい、途中から道がなくなって引き返してしまった。
どうやらここから登る登山者は少ないようで、山頂まで登る間に登山者と全く会うことがなかった。
諏訪神社ルートとの合流地点に到着。
ただ道案内はなく、木に貼ってある赤色のテープだけが頼り。

狭くて急な登山道を登っていくと、木々が空けて山から東側の景色を見渡すことができる岩場に到着。うわぁ、綺麗だ。
登山は登りは辛いけど、こういった頑張ったご褒美として素晴らしい景色があるからいいよなぁ。
中腹から眺めた北側。山県郡の高富がある方だ。

濃尾平野が広がる南側。山頂まで行けばもっと綺麗に濃尾平野が見えるはずだ。楽しみだ。

そして、山頂の反射板に到着。
この反射板は我々長良の住民にとってこの山の象徴的な存在で、毎日、地上からこの反射板を見上げて過ごしている。
その反射板をこんな間近で独り占めで眺めている自分。なんて贅沢なんだ。
今後、地上からこの反射板を眺める度に、今日のことを思い出しそうだ。
そして、子供の頃、運動神経が無くて運動場で遊ぶのが嫌いで、ゲームばかりして家にこもりがちだった内気な自分を、夏は長良川へ、冬は金華山やこの百々ヶ峰へ連れて行ってくれた元気で活発な友達がいて、ここにも連れて来てくれていたのを思い出す。懐かしいなぁ。
彼らのおかげで、この自然溢れる長良の街でたくましく元気で健やかな人間に育つ事ができ、今の自分の基礎を形成してくれた。
小学校の高学年から中学に至るまであれだけ仲が良かったのに、今では彼らと疎遠になってしまって残念だけど、今となっては本当に感謝している。
彼らがいなかったら、絶対に根暗になっていたと思うし、こうやってアウトドアを厭わない自分にはなっていなかったと思う。


この2枚の反射板、子供の頃はここに来ても設置されている理由なんて気にならなかったが、大人になった自分はその設置理由が気になり、山頂でスマホで調べてみる。調べたい時にいつでもどこでも簡単に調べられる。便利な時代になったものだ。
これは中部電力が設置したマイクロ波の中継施設で、岐阜市と関市の事業所をマイクロ波通信で結んでおり、設備の管理や災害時の連絡などに利用しているとのこと。
何だかよく分からないけど、ちゃんとした理由があったんだ。
こんな小さい頃から馴染み深いものの理由を、34歳にして初めて知った。
そして、その反射板からは山から南側の景色が一望できた。
金華山長良川、そして広大な濃尾平野。素晴らしい。
子供の頃は、景色なんて何とも思わなかったけど、今はこの景色に感動する。
子供の頃と今では目線が違うことを再認識。


この素晴らしい光景を独り占めしてのんびり眺めようと思っていたものの、この場所はアブにとっても特等席のようで、近寄るなと言わんばかりにアブが飛び回り、ゆっくりできなかった。
この日はこの陽気なので、自分と同じように虫さん達もとにかく元気で、アブがブンブン飛び回るし、ミノムシが登山道のど真ん中にぶら下がるしの状況。
虫にとっては我々の方が部外者なので、已む無し。
せっかくの反射板の下でゆっくりできず残念だったが、先を急ぐことにした。
反射板を過ぎると、初めて親切な真新しい案内板が現れる。

左に行けば、百々ヶ峰417.9m、真福寺山341.5m。
右に行けば、真福寺山の反射板。


そして、しばらく進むと、標高341.5mの三角点があり、西峰頂上とある。


これまで自分は山頂に反射板がある山を百々ヶ峰とずっと思っていたのだが、どうやらこの山は正しくは真福寺と呼び、その真福寺山から1km東に行った471.9mの岐阜市最高峰の山こそが百々ヶ峰と呼ぶそうだ。
でも、子供の頃からのその認識は正しかったようで、名前が変わったのは最近のことらしい。
昔、標高341.5mの三角点が誤って「百々ヶ峰」とされており、417.9mの岐阜市最高峰は無名の山だったそうだ。昔の登山者は岐阜市の最高峰を「東峰」、「百々ヶ峰」とされた三角点を「西峰」と呼んで区別をしていたそうだ。
しかし、2003年に市民から岐阜市の最高峰こそ百々ヶ峰と呼ぶべきとの声が上がり、2007年3月に岐阜市国土地理院に地名の訂正申請をし、417.9mの岐阜市最高峰が「百々ヶ峰」となり、341.5mが「真福寺山」になったそうだ。
百々ヶ峰にそんな歴史があったとは・・・。
岐阜市長良が地元ながら、全く知らなかった。
(多分、ほとんどの地元民が知らなさそう。)
そんな百々ヶ峰の歴史を知ったところで、341.5mの真福寺山の三角点から目指すは岐阜市の最高峰である417.9mの百々ヶ峰!
途中で歩きやすくて広い登山道に合流。
ここまで来た登山道には全く登山者がいなかったが、この登山道はたくさんの登山者がいた。どうやらこの道が山頂までのメインの登山道のようだ。すれ違う登山者と挨拶しながら先を急ぐ。
とても走りやすい登山道だったので、ここは走って登る。ようやくトレイルランニングらしくなってきた。

そして、417.9mの百々ヶ峰山頂に到着!

ここが山頂なんだ。子供の頃は真福寺山の反射板までしか行った事がなかったので、ここまで来るのは初めて。
凄い!木製のちゃんとした展望台が建てられている。その展望台からの眺め。
長良川に架かる鵜飼大橋が見える。更に奥には空が澄んでいれば、名古屋駅のツインタワーも見えるそうだが、今日は天気が良いものの、ガスっていて見えないな。

そして、金華山濃尾平野
さっきの真福寺山からの眺めも素晴らしかったが、ここの景色も素晴らしい。しばしこの景色に見とれる。
岐阜市で一番高い場所で岐阜市長良の街を見下ろしている。感慨深い。


よし、景色は十分堪能した。
続々と登山者が山頂にやって来るので、この景色を独り占めするワケにはいかないし、あまり長居すると暑くなり始めるので、下山。
帰り道は登りであまり走られなかった分、下りを飛ばして走りたかったので、一番有名なルートであり、東海自然歩道が整備されて走りやすい三田洞弘法ロードを一気に走って下る。下界に降りるまで一気に駆け下りて下って本当に気持ち良かった。
足にもいいカンジの衝撃が来て、脚力を強化するにはとても良い練習だ。
筋肉痛になるかもしれないが、練習なのでそれで良い。
明日にはまた脚力が強くなっているハズだ。

下界に戻ってきた。この登山道は、登り口にながら川ふれあいの森 四季の森センターに駐車場があって便利なため、登山者の皆さんはここまで自動車で来て百々ヶ峰の頂上へ向けてトレッキングを楽しんでおられるようだ。

登り口には、三田洞神仏温泉という温泉がある。登った後の疲れを癒すには最適だ。
でも、毎月1日は休みだそうでこの日は休み。



せっかくなので、今まで何度か聞いたことがあったものの、立ち寄ったことがなかった三田洞弘法(法華寺に寄ってみる。これが地元で有名な三田洞弘法か。

弘法大使の像だ。

三田洞弘法の本堂。

本堂から眺めた池。蓮の葉がいっぱいだ。

寺内では精進料理として味噌田楽を振舞っているそうだ。久し振りに田楽を食べたいな。

そして、三田洞弘法から初夏の陽気の中、汗だくで実家に帰宅。山を降りてからの方が暑くてキツかった。
今日は、何十年振りに百々ヶ峰に登ることができ、久し振りのトレイルランニングで良いトレーニングになった。その上、子供の頃の記憶・思い出を辿ることができたことで童心に戻ることができて楽しかった。
同じ場所でも時が変われば感じるものが変わる。観光地化されている金華山より登山客が少なくて自分好みの山だった。また地元に帰ってきた時は来ようかな。