さくら道国際ネイチャーラン、初応募・初選出の奇跡!
2019年12月20日金曜日、沖縄100kウルトラマラソンでの100km完走後の走り始め、仕事終わりの大阪城公園ナイトランニング7km。
平日の仕事の忙しさで心が荒んでいるときに嬉しい知らせがやって来た!
なんと、ダメ元で応募していた2020年4月の憧れのさくら道国際ネイチャーラン250kmへの出場確定通知がやって来た!
これまでの実績や応募用紙の動機等で選考されるので、なかなか選ばれないのを聞いていたので、「まさか!」と思って、何度も見返したが、出場確定の通知である事が間違いなく、つまらない平日の夜にテンションが上がりまくりだった。
11月の橘湾岸スーパーマラニックでの320km完走等が評価されたのか、応募時に作成した作文で書いたこの大会の舞台となる我が地元の岐阜の馴染み深い国道156号線(通称、イチコロ)を走れる幸せとここに桜を植え続けようという故佐藤良二氏の想いを感じながら走りたい意気込みが伝わったのか、初応募でいきなり選ばれるとは、本当に信じられない!
初応募で初当選という奇跡で、大変有難いチャンスを頂戴し、2019年年末に早くも2020年のメインレースが決まってしまったが、来年から250kmの制限時間が36時間から35時間に短くなり、かなり厳しい条件になってしまった。
今の自分の走力では相当頑張らないといけない。
DNFになってしまったら、二度と選ばれなさそうなので、これは残り数カ月で覚悟して練習し、自分の持ち得る力と経験を全て発揮して、35時間以内での250km完走を目指さないといけない!
沖縄100kウルトラマラソン:沖縄を離れたくない・・・
2019年12月16日月曜日、前日の沖縄100kウルトラマラソンを無事完走出来、有給休暇をもらって沖縄から帰阪するだけの日。
楽しかった沖縄を離れたくない想いでホテルをチェックアウトし、普段は朝食を摂らないのに、ホテル近くの有名店、お食事処・みかどのちゃんぽん。
r.gnavi.co.jp長崎のちゃんぽんとは全然違う。
そして、ゆいれーるで那覇空港へ。
沖縄を離れたくないので、ここでも腹が減っていないのに、最後のソーキそば。
沖縄を離れたくない、現実に戻りたくない・・・
そんな一心で沖縄を離れた。
この日を含めて、この3日間は好天に恵まれて、最高の沖縄だった。また来年も来たいなぁ。
沖縄100kウルトラマラソン、3回目の完走!ニライカナイ橋からの絶景に感動!
2019年12月15日、沖縄100kウルトラマラソン当日。
午前1時過ぎに起きて、ゆいれーるの県庁前駅近くのホテルを出た後、午前3時に県庁前に来るバスで、沖縄100kウルトラマラソンのスタート&ゴール地点である与那古浜公園へ。
真っ暗且つたくさんランナーがいるので、ケンゴさん達とはスタート前に合流できず、午前5時にスタート。
序盤、奥武島に向かう途中で夜明けになる。
海岸線から昇る朝陽が素晴らしい。過去2回に参加した時のこの夜明けの感動を思い出した。
大好きなサーターアンダギーもエイドで戴く。
ただ、走っている時は口の中の水分が全部持っていかれてしまって不向き。
奥武島を1周する前のエイドでは子供達に沖縄そばと沖縄もずくの味噌汁を戴いた。
50kmを走って糸島市に入ってきたところで、陽も昇って暑くなってきた。
前日からの好天で、雲一つない青空とエメラルドグリーンの沖縄らしい海の絶景コラボに感動。
第1回、第2回と曇り空だったのを記憶していたので、こんな素晴らしい海を見られてとても癒された。
そして、50km地点の近代的な建造物の糸島市役所に到着。
2年前は10時間台で完走出来たので、ひそかにサブ10を狙ってみようと思っていたが、前半50kmで4時間55分ではサブ10は無理と判断し、後半はファンランにすることに決めた。
ゆっくりエイドで休んで、大好きなポークたまごのおにぎりを頂戴した。
後半になると、全く好調の波が来ずに終始辛い状況が続いていたが、80km過ぎのこの大会のコースのハイライトである、ニライカナイ橋からの光景は素晴らしいものであった。
ここまでの辛さを忘れて、その風景に見とれてしまった。
3回目にして初めてニライカナイ橋からの絶景を眺められて感動した。
このトンネルを過ぎると、ニライカナイ橋だ。
筆舌し難いこの絶景に立ち止まって写真を撮りまくってしまった。来て良かった!
ニライカナイ橋は、ニライ橋とカナイ橋が合わさったもの。
ニライカナイ橋から下ったところで残り10km。残りはずっとフラット。
この交差点を渡れば、ゴールまであと少し。
スタート直後にも走った川沿いを最後のラン。大会側のスタッフに写真を撮ってもらえた。
そして、与那古浜公園に戻って来て、無事ゴール!100km完走!!
結局、後半が調子が悪くてペースアップ出来ずに、100kmの完走タイムは11時間台になってしまい、2年前の10時間台よりも遅い、ほろ苦い結果の年内最終レースになってしまった。
しかしながら、あのニライカナイ橋からの絶景を3回目にして眺められただけでも嬉しかった。ここに来た価値があった。
100km完走後は、会場内で沖縄そばを食べて、ゆっくりホテルへ。
そして、一服した後は、楽しみにしていたステーキ88で、待望のステーキ!
https://www.navitime.co.jp/coursebuilder/course/62dd1a80c1c44a9ead7e189a24eaac77
沖縄100kウルトラマラソン:前日に沖縄を堪能!
2019年12月14日土曜日、沖縄100kウルトラマラソン前日。
昨年は、前週に三都ウルトラマラニックで200kmを走った後だったので回避した沖縄100kウルトラマラソンに今年は出場。
第1回、2回と走ったので、今回で3回目の出場。
過去2回走って、その他のウルトラマラソンと比べるとちょっと・・・な面もあるが、年に1回、この冬のオフシーズンに沖縄に来たいので、毎年出場したくなってしまう。
少しだも沖縄を体感したいので、朝一の便で関西空港から沖縄へ。
透き通った青空、12月なのに暖かくて、That's 沖縄!というコンディション。これはテンションが上がる!
沖縄に来たら、絶対に食べたいもののひとつ目、グァバジュース。
果物の中でも随一で美味しいと思っている。
内地ではこのサンガリアのグァバジュースが販売されていないので、沖縄にいるうちに自販機で見つけてはこの味を堪能することにしている。
その他、シークワァーサーのファンタも珍しい。
そして、2つ目はお馴染み、ソーキそば&沖縄そば。
大阪でも沖縄料理店が増えていつでも食べられるが、沖縄で食べたい。
じゅーしーもソーキそばもよく合う。
3つめはステーキ!
沖縄県民は呑んだ後の締めにステーキを喰らうという程、ステーキ店が繁華街に多いので、自分も沖縄に行ったらステーキ88やジャッキーステーキハウスなどの有名店に行くのだが、ステーキは明日の100km完走後のお楽しみに。
2年振りの沖縄を散策した後は、夕方にゆいれーるの旭橋駅のそばにある沖縄料理・あさひへ。
r.gnavi.co.jp11月の橘湾岸スーパーマラニックのハイパー部門320kmでご一緒し、11月末の沖縄サバイバルラン400kmの完走者5名のうち2位だった偉大な超ウルトラランナーのケンゴさんとその相方のアオキさんにお誘い頂いて、一緒に飲ませて頂くことになった。
自分は2年振りの沖縄なのに、ケンゴさん達は沖縄サバイバルラン、翌週のNAHAマラソンと今回で1ヵ月間で3回も沖縄に来ているという沖縄好きっぷり。
バカげているけど、羨ましいなぁ、自分もそんな風に生きたい。
自分のような超ウルトラランナーにとって、今年の沖サバの完走者は憧れの人。
ケンゴさんから、台風のような暴風雨が吹き荒れてDNF者が続出したのにどうやってクリアしたのか、400kmも走ってどれくらい寝たのか、自分の弱点でもある眠気をどうやって克服したのかなどなど、沖サバの奮闘記を興味深くお聞きしながらで、とても楽しい時間だった。
そして、ここでも美味しい沖縄料理を堪能。
島らっきょに、海ぶどうに、ふーちゃんぷるに、どれも美味しいものばかり。
沖縄料理が大好きだ。
沖縄料理を堪能でき、ラン友との楽しい交流もあり、本当に楽しい沖縄100kウルトラマラソン前夜だった。
ナイキのズームフライニットの履き心地
2019年12月11日水曜日&13日金曜日は、仕事終わりに大阪城公園ナイトランニング7km。
巷で話題のNIKEの有名なヴェイパーフライニットの廉価版のズームフライニットが1万円台で楽天で販売されていたので、試しに購入して走ってみた。
典型的な日本人の足型の幅広である自分にとって、NIKEのシューズは合わないと思っていたが、このズームフライはニットで履き心地が良かった。
その上、厚底でふわふわしていて、前へ前へグイグイ送り出してくれる感覚がある。
これは具合が良いので、週末の沖縄100kウルトラマラソンではこのシューズで100kmを走ってみようと思った。
翌日からの久し振りの沖縄が楽しみでならない。
ここのところの仕事で溜まったストレスと疲れを発散してこよう。
大阪から京都まで第2京阪道路に沿って50kmラン
2019年12月8日日曜日。
日曜日朝のランニングは、この週末に三都ウルトラマラニックに出られなかったので、この大会の後半・大阪~京都往復120kmのコースの一部、第二京阪道路沿いを走ってひと足遅くトレースすることにした。
門真市から京都駅までの約40km、延々と一直線のコースを走るコースであり、小江戸大江戸200kの後半の大江戸コースの川越街道のようなコースであったことを思い出す。
川越街道と異なり、歩道が広くて走りやすいし、結構アップダウンもあって走り応えがあるし、練習にはもってこいのコースだと思っていた。
自宅のある堺筋本町から約10kmで鶴見緑地に到着。
この先の門真市からいよいよ第二京阪道路のスタート。
ここからが延々と京都迄続く長い長い一直線のコースの始まりだ。
国道1号線だけあってとにかく広い道路に凄い交通量。
三都ウルトラマラニックでは夜にここを走るので、明るいうちに走るのは初めて。
上には高速道路が走っているので、これに沿って走っていれば、迷わずに京都に着くのだが、途中の寝屋川市の宮前町の交差点は注意が必要。
昨年の三都ウルトラマラニックでは、ここで四条畷市の方、国道163号線に行ってしまい、途中にある四条畷市役所の前で、ここは四条畷神社に走って行った時に通った場所で、このまま走ったら山越えしてしまうから明らかに違うと判断し、地図を見た結果、コースロストしている事に気付いた苦い思い出がある場所だ。
その後、地図を見ながら走って、この先にある寝屋川公園辺りでコースに復帰できて事なきを得た。
寝屋川公園の手前で最初の登り坂。この丘の上からの眺めはなかなか素晴らしかった。
この辺りから小刻みなアップダウンの繰り返しになる。
このコース、コース沿いに自販機やコンビニは少ないけど、冬であれば十分。
門真市、寝屋川市、交野市、枚方市になったところでスパバレイ枚方南、この後、京都市に入った京田辺市には水春のスーパー銭湯があるので、ここに寄りたくなる。
京田辺市を過ぎて木津川を渡り、久御山町に入って、巨椋(おぐら)大橋を走って宇治川を渡ると、いよいよ京都市に入った。
そして、延々40km走って来て、ようやく京都駅に到着。
大混雑の京都駅をランニングスタイルで横断して、到着した八条口とは逆の烏丸口前の京都タワーの地下にある銭湯でゆっくり疲れを癒した。
しかし、京田辺市を過ぎた30km辺りで足は大丈夫なのに、臀部の張りが酷くて辛くなってきてしまった。
スピードを出すと臀部の疲れが出るのが自分の弱点だ。
来週の沖縄100kウルトラマラソンに向けて不安になってきた。
何だか先週の大阪マラソンよりも疲れてしまったが、第二京阪道路を堪能出来て楽しかった。帰りはJRで帰宅。
10年振りのコンビ復活に感動!
2019年12月6日金曜日。
今週は、東京への三泊四日の出張があって、それが無事に終わってぐったり。
木曜日は東京で忘年会にも参加したので、帰阪したのは0時を過ぎていてハード過ぎた。
そんな1週間の最終日に大阪城ナイトランニング7km。
本当であれば、翌日の土曜日から、昨年も出場した三都ウルトラマラニック200kmに出場する予定であったが、直前になって参加費の入金漏れが発覚。
大慌てで主催者に相談したところ、1週間前でも出場可とのことで有難かったものの、今週溜まった仕事を含めて年内は忙しさのピークで、丸二日ランに没頭出来る気持ちの余裕が無かったので、出場は断念する事にした。
暖冬と言われいたが、週末になって急に寒くなったので、これは夜間走が厳しそうだ。
この日は、大阪マラソン直前に懸念していた右足ふくらはぎの吊りは回復し、この日も問題なく走ることが出来て、当たり前のように走ることが出来て嬉しかった。
2019年12月7日土曜日は夜に大阪城公園&中之島公園ナイトランニング10km。
先週の金曜日夜の全力脱力タイムズの展開には本当にしびれた。
毎週観ているのだが、予告無しのアンタッチャブルの復活が実現!
10年振りらしいが、相変わらず色褪せない、ボケの山崎はもちろん、ツッコミの柴田も面白いという、唯一無二のコンビの復活だった。
ずっと好きなコンビで、柴田の不祥事以来、いつになったらコンビ復活になるのかを待ち望んでいたが、10年振りの復活の瞬間を観られて「良かったなぁ」と感動した。
この日の放送以降、ネットニュースもこの急展開の話題で持ちきり。
たくさんの芸人達やファンもこの瞬間を待ち望んでいたようだった。
山崎と親交が深い司会の有田鉄平が仲介してこの場を設けたようだ。粋な計らいだなぁ。
あと、こちらも毎週金曜日夜の全力脱力タイムズの後に放送されている探偵ナイトスクープにて、西田局長の後任がダウンタウンの松本人志であることも驚いた。
大阪マラソン、7年連続完走!今年も仮装ラン!
2019年12月1日、大阪マラソン当日。
いよいよこの時がやって来た、7年連続の大阪マラソン!!
今年から大阪城公園がスタート&ゴールという、堺筋本町に自宅がある自分にとっては、かなり便利なフォーマットになった。
自宅から歩いてスタート会場に行き、42.195km走って、歩いて帰宅できるというあまりにも自分にとって好都合な大会となった。
よく考えたら、自転車で行って帰って来られる異に気づき、森ノ宮駅まで自転車で行って、大阪城公園へ。本当に有難い限り。
今年は前夜祭でご一緒したラン友の方々と噴水の前で待ち合わせして、スタート前に合流させて頂いた。
自分は今年も相変わらずスパイダーマンの仮装での出場だが、ご一緒した皆さんも仮装なので、今年はスタート前の恥ずかしさは皆無だった笑
毎年、同じスパイダーマンだし、3万人もランナーがいたら確実にかぶるので、今年は差別化のためにサンタ帽子を被っての5年連続での仮装ランに挑戦!
こんなふざけた格好でBグループに整列し、大阪マラソンスタート。
新コースなので、今回からは大阪城を北向きにスタート。
新しいコースでは早々に中之島の中央公会堂を通過。
その後は大阪市役所を左折して御堂筋へ。
新コースも御堂筋は走るものの、これまでのコースのように逆走もしての往復ではなく、新コースは片道のみ。
逆走ではなくなってしまって残念。コブクロの大会テーマソングも新しい曲に替えられることに。
御堂筋を走った後は、新コースも京セラドームがある九条や弁天町の辺りを走って折り返し。
その後もやたら折り返しが多いコースで、30km手前の上本町辺りで大阪市24区の名物が味わえる「まいどエイド」が新コースでも健在だった。
四天王寺の前で再び折り返して、環状線を過ぎて、35kmから今里筋を北上して、大阪城に戻って来た。
たくさんの沿道の方々が「お疲れさま!スパイダーマン!」「あと少し、がんばれ、スパイダーマン!と声援してくれて嬉しかった。
大阪城公園のランニングで2日に1回は見ているお馴染みの大阪城も、42.195km走った後だと新鮮に見えた。
そして、無事、ゴール!
道中、沿道の応援やハイタッチに全部応えていたら、後半はバテバテになってしまって、仮装ランでのサブ4はムリだった。
でも、サブ4なんてどうでもいいくらい楽しかったので、もっとゆっくりのんびり走れば良かったと少し後悔。
今回、7年連続で当選するという奇跡が起こり、今年も大阪マラソンにに出場出来たことの幸運と幸せを感じながらの42.195kmは本当に楽しかった。
あと、心配していた右足のふくろはぎの痛みは全く無く、大丈夫だった。
マラソン人生で最大のピンチかと思っていたが、ちゃんと本番に間に合わせてくる自分に感心。
https://www.navitime.co.jp/coursebuilder/course/b4ca11fc457449fea123b5ef8839d932
大阪マラソン、前夜祭
2019年11月30日土曜日、大阪マラソン前日。
楽しみにしていた新コースに生まれ変わった大阪マラソンの日がついにやって来た。
先週日曜日に右足ふくろはぎを攣ってしまった後で不安が残る状況だが、橘湾岸スーパーマラニック以来、満足に走れずに仕事のストレスや疲れが溜まっていたので、それを解消しようとずっと楽しみにしていた。
スタート&ゴールは大阪城に変更になったのに、前日受付会場はこれまで通り、大阪南港のインテックス大阪という不便な場所という合点がいかない状況だったが、会場直後の大混雑を避けて午後に行った。
中央本線でインテックス大阪に到着した直後、会社の上司から電話が架かって来て、そこから寒空の下で1時間くらい話すことに。何てこった。
広い会場で前日受付の他、最新のランニンググッズを散策しながらブラブラして会場を出た頃には暗くなってしまった。
前日受付完了後は、その足で鶴橋へ向かった。
今年は大阪マラソン前夜にこれまでのウルトラマラソンで知り合い、翌日、大阪マラソンに出場するラン友の方々と前夜祭として、鶴橋で焼肉を堪能する事となった。
ほぼ府外のランナーなので、幹事は自分。
皆さんと共にマラソン談義を繰り広げながら、楽しいひと時だった。
同じ価値観を持った方々とのお話は興味津々!
翌日のために、早めに肉もお酒も程々にして解散した。
続く右足ふくろはぎ痛、不安な大阪マラソン
2019年11月28日木曜日、大阪城公園&中之島公園ナイトランニング7km。
24日の日曜日のランで、右足ふくらはぎに違和感を感じて足を休めたものの、張りは取れず、月曜日の東京出張の間も続いて、仕事終わりの帰り道で横断歩道を小走りした直後、右足ふくらはぎにこむら返りの激痛が!
そこから足を引きづって帰阪。
まさか、今週末の大阪マラソン直前にこんなことになるとは、最悪な展開になってしまった。
木曜日まで休足してマッサージにも行って痛みも治まってきたので、ランを再開したものの、やはり右足に痛みあり。
走れない訳ではないが、果たしてこの足でフルを走れるのか。
大阪マラソンは毎年恒例の仮装でのファンランでゆっくり走るし、制限時間はたっぷりあるので、大丈夫と思うが…
この右足の痛みは、自分のマラソン史上最大のピンチかも…
写真は、中之島公園のツリーのイルミネーション。
青春18きっぷポスター:2019年冬
仕事で東京に行く際の新大阪駅にて、2019年冬の青春18きっぷの発売開始を告げるポスターを発見。
今年もこの時期が来たかぁとしみじみ。
冬の舞台は、JR山陰本線の諸寄(もろよせ)駅という難読駅の風景だそうだ。
どの辺りなのかをGoogle Mapで調べてみたら、兵庫県新温泉町、城崎温泉駅と鳥取駅の間にある駅だそうだ。有名な余部鉄橋があるところだろうか。
今回のポスターのコピーは以下。
凍てついた体で、列車に乗り込んだ。暖かさが心に沁みた。
確かに冬の山陰地方は寒そうで、このポスターは如何にも山陰地方らしい雰囲気を醸し出している。
山陰地方にはマラソンなどで何度も行った事があるが、山陰本線には縁が無い。
いつか山陰本線にのんびり乗って旅をしてみたいものだ。
ひとり焼肉デビュー
2019年11月17日日曜日は、11月は走り過ぎなので、控えめに大阪城公園ナイトランニング7km。
2019年11月20日水曜日、22日金曜日も、仕事終わりに大阪城公園ナイトランニング7km。
2019年11月23日土曜日は、大阪城公園&中之島公園&御堂筋ナイトランニング。
2019年11月24日日曜日。
日曜日の朝ランで久し振りにロングラン!…と思って、準備までしたところに、会社携帯電話へ上司から電話が。
週末に発生した問題に対しての対応がまずかったようで、とてもじゃないが、気持ち良く走ってられない状況に。
ロングランを取り止めて、大阪城公園2周ランに切り替えた。
紅葉が真っ盛りで、大阪マラソン1週間前でもあり、たくさんのランナーが走っていた。もちろん観光客もたくさん。
ところが、前を走る速いランナーについて行こうと調子に乗ってペース速めで走っていたら、2周目を走り終える直前、右足ふくらはぎに違和感が。
これは、みちのく津軽ジャーニーランで42kmの鰺ヶ沢手前で起こったこむらがえりと同じ前兆と思い、ランを止めてしっかりストレッチ。
足が吊る事態には至らなかったものの、痛みは続き、歩かざるを得ない状況になってしまった。
大阪マラソン直前になんてこった。
やはり、橘湾岸スーパーマラニックでの代償がまたここに来てやって来た。計り知れない320kmのダメージ。
結局、そこからほぼ歩きで帰宅。
遥か沖縄の地では、沖縄サバイバルランという400kmを走る恐ろしい大会が解されており、悪天候という悪コンディションの中、250km地点で68人中6人しか残っておらずに頑張っているランナーがいるのに…
しかし、橘湾岸スーパーマラニック320kmの完走者が序盤でDNFするくらいのコンディションってどんなものなんだろう、と驚きしかなかった。
橘の帰りに知り合った、昨年も沖サバを完走しているケンゴさんがその6人の中に残って頑張っておられたので、その後、帰宅して仕事をしながら大会のアップデートを見て応援していた。
それに比べて、自分は10kmも走っていないのに、この状態は情けなさ過ぎる。
(その後、ケンゴさんは2位で400kmを完走するという快挙!橘で320kmを完走していて、11月の走行距離は720km以上という恐ろしく、尊敬すべきランナーだ!)
そんな体たらくで大阪城から帰る途中、大阪初出店で天満橋に出来た焼肉ライクへオープン直後に立ち寄った。
ひとり焼肉で東京で有名な店とニュースで知っていたが、タッチパネル式注文でシステムも整っているし、店員のサービスが良くて、素晴らしい店だった。
また来たい良い店を見つけたと嬉しかったが、ここに何度も来たら太るなぁ。
大阪市役所・御堂筋イルミラン
2019年11月16日土曜日、大阪城公園&中之島公園ナイトランニング12km。
本当であれば、金曜日中に仙台入りして、朝5時スタートで仙台から女川に向かって80km走る仙女ウルトラマラニックに出場する予定だったものの、金曜日中に仕事が終わらず、終電で行ったら23時過ぎ仙台駅着でキツイし、長崎橘湾岸スーパーマラニック後のダメージで体調が万全では無いので、エントリー代が勿体無いが、悩んだ末に直前にDNSさせてもらった。
橘湾岸スーパーマラニックでご一緒したラン友の方々も出られると聞いていたので残念だったが、せっかく仙台に行くなら、金曜日を休みにして仙台を堪能したかったし、体調が戻っていなくてムリは出来ないので、賢明な判断として自分に言い聞かせた。
この日のランは、懸念していた橘後に発症した右膝の痛みは無く、12kmを問題無く走れて良かった。あの痛みは何だったんだろう…
この日は中之島公園往復して帰って来るのではなく、先日始まった毎年恒例の年末の大阪光の饗宴の大阪市役所や御堂筋のイルミネーションを見ながらのイルミラン。
今年の淀屋橋エリアは、青色に加えて紫色もあってとてもキレイだった。
世界糖尿病デー、大阪城ブルーライトアップ!
2019年11月14日。
2019年11月1日から3日にかけて開催された長崎橘湾岸スーパーマラニックのハイパー部門で320kmという人生最長距離を55時間かけて完走した後の走り始め。
約2週間、完全休足・ランオフしたのは珍しいが、こうやってようやく走れるようになるまでいろいろあった。
これまで経験した200km超えの超ウルトラマラソン後は大きなダメージを負ってきたが、今回は何とも無いなぁと油断していたら、1週間経った先週土曜日に、右膝の皿の下の内側が急に痛み始め、足を曲げるのも痛い状態に。
走り始めて以来、膝痛は一切無かったのに・・・
調べてみると、ジャンパーニーのような症状だった。
マッサージに行って浮腫んだ足をほぐしてもらったり、整体に行って集中的に施術してもらったり、湿布を貼って休足を継続したら、痛みはマシになってきてホッとしたのも束の間、今度はマラソン後の疲れと仕事の激務による過労で免疫力が下がって扁桃炎に。今週前半は咽頭痛に発熱して散々だった。
そして、ようやくこの日に仕事の終わりの大阪城ナイトランニング再開。
最初は右膝に違和感を感じたが、すぐに気にならなくなって、普通に走れ、本当に良かった。
やはり320kmの代償はデカイと痛感。
そして、この日は、世界糖尿病デーということで、大阪城もブルーライトアップ。
大阪城の真下まで行って、通常と異なる青くて妖艶な雰囲気を伴う大阪城に見とれてしまった。
2週間後、ここがスタート&ゴールに生まれ変わった大阪マラソンを7年連続で走られる幸せを感じながら楽しもう。
長崎橘湾岸スーパーマラニック2019ハイパー部門320km:眠気地獄の後半、55時間かけて320km完走!
2019年11月2日~3日、長崎橘湾岸スーパーマラニックH部門320kmの後半戦、島原半島ステージP部門103km。
2年に1回、昨年11月に走ったP部門103kmと今年G.W.に走ったE部門217kmを同時に走るというド変態部門の後半。
無事、前半の野母崎・諫早ステージ217kmを2019年11月1日9時にスタートして約32時間で走破し、2019年11月2日のの18時前に小浜温泉の南本町公民館に到着した。
その後、一斉リスタートの20時迄の約2時間、ゆっくり休んでいられるヒマは無く、速攻で公民館で出される食事を食べて後半の準備をして、約1時間仮眠。
・・・といっても、たくさんのランナーが入り乱れている公民館内では満足に寝られず。
そして、2019年11月2日の20時に、後半の島原半島・雲仙ステージ103kmがいよいよスタート(2019/11/2、20:00)!
公民館の前にはたくさんの我々H部門と合計273km走るW部門ランナーやその関係者、この後にスタートするP部門103kmの出場ランナー達が集結していて、みんな疲れているから異様なテンションで、変態ランナーのるつぼのような雰囲気だった。
自分も含めて、みんなよくやるわ、と感心。
ゾロゾロとリスタートして走ってみると、217km完走した後の重い足でありながら意外と走る事ができる自分に驚きながら、ゆっくりだけど前に進んだ。
しかし、そのうち延々と続く単調な海岸線沿いのフラットなコースを真っ暗な中にヘッデンの光を頼りに前に進んでいると、走りながらボーっとしてきた。
ゆっくり走りながら、リスタートから13.9km地点の津波見エイド230.9kmに到着(2019/11/2、22:02)。
この辺りから眠気がヤバくなってきた。
真っ暗で何にも無い平坦路なので、走っていれば意識は保てて大丈夫であるものの、かなり辛くなってきた。
走る→脚が痛い→歩く→眠くなる→走る→…の繰り返しだった。
リスタートから21.4km地点の口之津エイド238.3kmに到着した頃には眠気でペースが落ちてしまってヤバかったので、時間は十分あるし、ここで仮眠を決断(2019/11/2、23:17)。
ペースが落ちると、眠気だけではなく、汗冷えで寒くなってきたので、温かいココアで身体を温めて、エイドのスタッフの方にエマージェンシーシートをお借りして、公衆トイレの前のベンチで包まって15分程度仮眠。速攻で眠れた。
眠気が解消されて再スタート。ペースも戻って来て、真っ暗の中を先に進んで、原城址へ。
完全に単独走だったので、ひっそりと静まり返った原城址の城下町とその先の原城址のチェックポイントに行くまでのコースをド深夜に走っている時はかなり心細かった。ここは長崎県屈指の心霊スポットだそうなので、なおさらだった。
原城址のチェックポイントでパンチをして、坂道を下って原城エイド248.1kmに到着(2019/11/3、1:37)。
ここでもイマイチ眠気が解消できていなかったので、再びエマージェンシーシートをエイドの方にお借りして10分程度仮眠。
ホント世話の焼ける迷惑なランナーだが、背に腹は変えられない。
このエイドで昨年秋食べた中華粥が美味しかったので、今回も堪能して再スタート。
2回仮眠した事で再びペースを戻せたものの、次の堂崎エイド258.1kmには2時間後に到着(2019/11/3、3:43)。10km走るのに2時間かかっていた。
眠気は大丈夫だったので、エイドにおられたラン友の方々と話をしながら再スタート。誰かと話すのが眠気解消のためのひとつの策だったかも。
お話したラン友から島原城に午前7時迄に到着すれば安全圏内とのことを聞いたので、まずはそこを目指すことに決めて、再スタート。
エイドを出発した後、前を走るランナー達について走っていたものの、再び眠気が訪れてきたので、柳原のバス停で再び10分仮眠。
完全に置いて行かれてしまったが、この3回の仮眠で完全に眠気が解消されたように感じた。
そのため、ここまで眠気でペースが落ちて満足に走れなかった分を取り戻すかのようにペースアップして気持ち良く走れて、前を行くランナーに追いついた。
道の駅ふかえ本陣268.1kmのエイドを快調に越えた(2019/11/3、5:56)。
このあたりから夜が明けて明るくなり始め、バス停での仮眠で完全に目が覚めた事もあって、再び快調に走る事が出来た。
途中、春のE部門217kmの最後にお世話になったコガさんと合流して一緒に走り、次の島原城に午前7時迄に到着するために、必死に走って前へ進んだ。
そして、島原城のエイド274.6kmに滑り込みで午前7時に到着(2019/11/3、7:00)!ほっとひと安心!!
そして、いつの間にやら、みちのく津軽ジャーニーランで完走していた、人生最長距離の263kmをいつの間にやら超えていたが、感動している余裕は無かった。
「3日目の朝になって明るくなり、完全に覚醒したから、ここまで来る事が出来ればもう大丈夫だろう。」と安心したのだが、ここからが本当の地獄だった。
何が地獄か、というと、疲れでも、脚の痛みでもない、眠気地獄。
島原城へ到達するまでに、眠気に襲われ、エイドで2回、バス停で1回、仮眠したので、眠気は解消できたと思っていたのだが、大きな勘違いだった。
この後の島原半島ステージ103kmの最大の難関である平成新山と雲仙温泉に向かう長い長い登りは、本当に地獄だった。
270kmを超えて走って来ると、さすがに登り坂を走る事は出来ずに歩かざるを得ない状況になってくると、途端に眠くなってしまった。
登っているうちにフラフラになってしまって極限状態だった。
ギリギリの精神状態で、自分は一体何をしているのかが分からなくなったり、訳の分からない独り言を発したり、本当にヤバかった。
登りのスピードが激減し、どんどん後続のP部門のランナーに抜かされて、W部門のウサミさんなどにも心配される始末。
あまりの眠気でフラフラで耐えられなかったので、平成新山に向かう登り坂の途中の千本木湧水の無人エイド279.6kmで、全然喉は乾いていないのに立ち寄って、コースから外れた木陰で再び10分程度仮眠。
この仮眠により一時的に眠気が解消したので、遅れを取り戻そうと、攻めの歩きで残りの登り坂を登り切り、少し下って平成新山の展望園地のエイド282.9kmにようやく到着(2019/11/3、9:19)。
登り坂の激しい眠気でパフォーマンスがガタ落ちで、たった8km程に2時間半近く使ってしまった。本当に大変だった。
平成新山のエイドからの下りの景色を楽しむ余裕無く、走って駆け下りた。
280kmを超えて走った脚でも走って下る事が出来る自分が嬉しく、走っている間は眠気も無く、快調に走られた。
下った後、水無川大橋の無人エイドを越えて、次の深江運動場のエイド291.1kmに到着するまでは、日中になって日差しが強くなり、暑い中のランで辛かった(2019/11/3、10:32)。
エイドの方々からここまでやって来た事を労ってもらった。
さて、ここから2つ目の難関である雲仙温泉に向かう長い登り坂だ!
・・・と、勢いよくエイドを出て、いきなりの登り坂を歩いて登り始めた途端、再び眠気が襲ってきて、あっという間にフラフラになってペースダウン・・・
平成新山の登りと同じような状況になって来たので、本格的な登り坂が始まる手前でコースを外れ、民家の横で倒れ込んで再び10分程、仮眠。
仮眠して再び覚醒したので、登り坂を攻めの歩きで登り始めると、歩道が無い登り坂に入ったばかりのところで、残念ながら前半でDNFになってしまった同じH部門のマツオさんやナカスガさん、フジオカさんなどが車で応援に来て下さっていて、思わずお菓子をサワーをご馳走になった。
同じH部門のランナーのエールを得て、再び攻めの歩きで登って、登り坂の途中の俵石展望所エイド296.7kmに到着(2019/11/3、12:00)。
ここのエイドには春にもお世話になった大会スタッフとして活躍されているサカモトさんと再会できて嬉しかった。
エイドで名物のぜんざいを戴いて再出発するも、このエイドに到着する直前で再びやって来た眠気にまた襲われてしまった。
歩道が無い交通量が多い坂道でフラフラになるのは危険過ぎるので、登り坂の路肩にあったベンチに腰掛けて再び5分程仮眠。
300kmも走って来ると、眠気にやられて正常な精神状態では無くなり、こんな状態になるのか、心底驚いた。坂道で歩き始めると途端に眠くなる極限状態の自分に驚いた。
眠気で大幅なペースダウンを強いられながらも、無事、登り坂のピークの仁田峠に到着。
ここからは下り基調なので走れるし、眠気は無くなるだろうから、ほっとひと安心。
下り坂を走って下りて、やっと観光客で賑わう雲仙温泉に到着。
やっとここに着いた~、と雲仙地獄の遊歩道に向かっていると、後ろからヒラタさんとコヤマさんが走って来られた。
ここまで眠気によるペースダウンでたくさんのランナーに抜かれていたので、まだ後ろにH部門のランナーがいてくれて安心した。
ここからはほぼお二人と一緒、もしくはついていくことで先に進んだ。
300km以上走って眠気で正常な精神状態を保てなくなりつつあって余裕が無かったので、雲仙地獄に再びやって来た事への感動を感じられている余裕は無かった。
雲仙地獄の大叫喚地獄のチェックポイントを通過して、雲仙温泉のエイド304kmに到着(2019/11/3、13:51)。
しっかり腹ごしらえして、短いトレイルのコースを経て、長い長い下り坂。
ここは太ももがパンパンであるものの、しっかり走る事が出来たので、登り坂であれだけ苦しんだ眠気は皆無だった。
途中、塔の坂のエイド309kmを経由して(2019/11/3、15:02)、急な下り坂を最後の力を振り絞って最後のエイドである小浜木場エイド313kmに遂に到着(2019/11/3、15:39)。
ここに制限時間内に到着すれば完走扱いなので、この後の7kmはまさにウイニングロード!
同じペースだったヒラタさんとコヤマさんと一緒に走りながら、長い下りが終わって小浜の街に降り立った。
大会スタッフのサカモトさんが「おめでとうございます!」と出迎えてくれた。
小浜の街を走るのも3回目。長った320kmの旅もようやく終了と思うと嬉しかった。
そして、道行くランナーなどから「お疲れさま!」の声を戴きながら、ヒラタさんやコヤマさん、カワウチさんなどと共に南本町公民館320kmに戻って来て、無事、ゴール!(2019/11/3、16:50)
W部門273kmを完走していない輩が無謀な挑戦をしたものの、約55時間50分かけて、人生最長の320kmを無事走破できた。
しかし、320kmを完走出来た喜びと感動は後日込み上げてきたものの、ゴールした直後は寝不足で理性がおかしくて、早く寝たい睡眠欲しかなく、感動があまりなかった。
完走後、道中、ご一緒したラン友の方々とお互いの健闘を讃え合って、宿泊予定の雲仙荘へ。
打ち上げに出席したものの、眠気と320km走った後の胃の調子が良くなくて余裕が無かったので、早々にお暇して部屋で泥のように爆睡だった。
320kmの長い旅を振り返ってみると、前半の野母崎・諫早ステージ217kmはかなり順調に走破出来たものの、後半の島原半島ステージ103kmが思わぬ地獄だった。
200km以上走っても脚は生きていてまだまだ走れるのに、平成新山と雲仙温泉の長い登りで歩かざるを得ない状況になると、即眠くなってフラフラになってパフォーマンスガタ落ちで大幅なペースダウンをしてしまった。
後半にこの眠気をコントロールできなくてパフォーマンスがガタ落ちになるのが今後の課題だ。
何度も仮眠して寝不足で理性がおかしくなってヤバい状態になりながらも、何とかゴール出来て良かった。
それもこれも、長い道中、声を掛け合った同志の方々やスタッフの方々のお陰なので、感謝しきり。
こんな極限状態を味わえた刺激的でクレイジーで楽しい3日間だった。
この大会でお馴染みのパンチ方式のチェックシート。
320kmの全てのチェックポイントで押して、無事、コンプリート出来て嬉しかった。
よく頑張った!
速報版の完走者リスト。
54名中、完走者26名の完走率48.2%の厳しい状況の中に、11番目のド変態(良い意味で)になることができた!
結局、遅くスタートした13時・11時スタートの方がベスト3を占めて、その後に我々9時スタート組が並ぶ。上位の方々の走力が恐ろしい。
しかし、今回の320kmを完走出来た実績は、今後の自分の人生での自信になるなぁ。
後日発送して頂いた完走証。これで「ハイパー金龍」の称号を頂戴出来た。
今回が初開催なので、全国でこの称号を持っているランナーは26名だけ。
ついでに、ハイパー金龍のバッジもゲット!
これは他大会でつけていたら、アピールになるなぁ。