高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 24時間(19時間)リレーマラソン、今年もみんなで完走!

7月18日土曜日、今年も海の日を含めた7月の3連休恒例の「コニカミノルタ ランナーズ24時間リレーマラソン」の時期がやって来た。
ラソンのオフシーズンである真夏に開催される団体戦で、チームで24時間タスキを繋いで走り続ける過酷でクレイジーなイベントだ。
本来、ランニングチームに所属しておらず、団体行動が不適合な自分にとって無縁なイベントなのだが、会社の同僚に誘われて2010年の同大会にチームの一員として出場させて頂いて以来、2011年、2012年、2014年と誘って頂き(2013年はあまりの人気でエントリーができずに不出場)、今年で5回目の出場になり、自分の中で真夏の恒例イベントになっている。
例年、7月、8月はマラソンイベントがほぼ無くなり、普段のランニングの練習がマンネリ化してくるので、自分にとってはちょうど良い刺激を与えてくれる有難いイベントだ。
ただ、今年は16日から17日にかけて台風11号が西日本を縦断した影響で、17日金曜日に大会側の準備が出来ず、24時間リレーマラソンのスタート時間が18日土曜日12時から17時に変更される異例の事態となった。
ゴール時間の19日日曜日12時に変更は無い為、今年は「24時間リレーマラソン」ではなく、「19時間リレーマラソン」になってしまった。
台風一過であったにも関わらず、大会側は迅速な対応をしてくれて、みんなが楽しみにしていたこのイベントの開催に何とかこじつけてくれただけでも大変有難かった。
土曜日の午前中はゆっくりさせてもらって、午後にチームメンバーの方の車に同乗させて頂いて、会場となる舞洲スポーツアイランドへ。
今年もチームメンバーと合流して、自分達に与えられた場所にみんなでテントなどを設置。
スタートとなる18日の17時になって、19時間リレーマラソンがスタートした。
舞洲スポーツアイランドの中にある1.4kmの周回コースを、7月18日17時から7月19日12時まで、チームメンバーで走ってタスキを繋ぎ続ける。


チームのリーダーが決めてくれたローテーションに従って、自分も前後の方と打ち合わせをして、前の方が走り始めたら、約6分後には以下の写真のようなタスキ交換のための待機場所に行って、前の方が1周走り終わるのを今か今かと待ち、余計なタイムロスが無いようにスムーズに前の方からタスキを受け取り、1周走って、後の方にタスキを受け渡す。
チームには最大で自分を含めて約12人いたので、1回走ると約1時間30分から2時間程度のインターバル(休憩)を挟んでまた走る、というのを19時間繰り返す。

会場には走る以外の楽しみもあり、メインステージでは様々なイベントが今年も開催されていた。
タヒチアンダンス。とても目の保養になった。大会側は健康的な成人男子をムラムラさせてどうするつもりなのだろう。

仮装大会。ランニングと同じくらい気合いが入っていた。チームみんなで仮装すれば怖いものはない。楽しそうだ。


走り終わった後、チームのテントに戻ると夕食が待っていた。
チームには、18日夜と19日朝に食事を作って頂ける方がいて、我々ランナーに美味しい料理を振る舞ってくれる。
普段のマラソンであれば、走る際に固形物の摂取は厳禁なのだが、このイベントでは走っても1.4?だし、休憩が長いので、ここぞとばかりに戴く。
カレー、肉、ポトフと、走った後であることもあって、かなり美味しかった。




スタートした時刻が17時だったこともあって、日がすぐに暮れ始めた。
大阪湾の埋め立て地である舞洲から六甲山に沈む夕陽は、とても美しかった。


日が暮れると、辺りは真っ暗。そんな中でも相変わらず走り続ける。
真っ暗な中、特に午前零時を過ぎた時間に走っていると、「自分はこんな時間に、一体、何をしているのだろう」と思いながら走り、あまりのクレイジーさに笑えてくる。


夜には、メインステージで沖縄民謡などのライブも開催。

午前4時を過ぎて空が明るみ始めた。

午前6時になると、メインステージでは早朝エアロビクス。ランナーはみんな元気だ。

例年、夜が明けると、雲一つない快晴で12時までの数時間はかなりの暑さになり、最後の頑張りが必要な時間になるのだが、今年は雲に覆われ、一時的な雨が降った。
でも、雨のおかげで涼しくて走りやすく、しかもゆっくり眠る事ができていないところに目が覚めて、我々にとっては恵みの雨だった。


朝には再び朝食を作ってくれる方が駆けつけてくれて、朝食を作って下さった。我々のために大変有難い。

そして、俄か雨が止んだ後は、台風一過のような晴天になって来て、ゴールとなる午後0時までの残り数時間は例年の暑さが戻って来た。
例年、午前11時になってゴールまで残り1時間になると、コース沿いに出場チームメンバー全員が集まって来てハイタッチの嵐になる。
そのため、この1時間は、たとえ疲れていたとしてもみんな走りたくなるのだが、今回、大変光栄なことにアンカーに選んで頂いた。
アンカーに選ばれたら交替はできず、ゴールの午後0時まで走り続けなくてはならない。
自分も11時40分にタスキを受け取って、炎天下の中、1.4kmの周回コースを3周走った。
合計するとたった4.2kmなのだが、猛暑の中を全力で走っているので、相当辛かったものの、アンカーを仰せつかった責任と、ハイタッチの嵐を楽しみに頑張って走った。
大変貴重な滅多に無い機会なので、デジカメの連射機能で写真を撮りながら走ったのだが、みんな19時間を走りきった良い笑顔でハイタッチとしてくれてとても嬉しかった。




チームメンバーも全員で自分を応援してくれたおかげで、何とか午後0時直前に3周を走りきる事が出来た。
たまにしか顔を出さない新参者の自分をこうしてアンカーに選んで頂いて、笑顔で応援して頂いて、本当にありがとうございました!!!

19日日曜日の午後0時になって、スタートから19時間が経過して、今年もみんなで無事19時間リレーを完走!


チームメンバーの汗が染み込んだこのタスキはとても重かった。

今年は、5時間短くなった上に、例年のように晴天で猛暑の時間が短ったので走りやすかったものの、メンバーが例年よりも少なく、特に深夜は9人で走るローテーションを回さなければいけなかったので、ゆっくり眠る事はできず、それなりに大変だった。
ただ、先月のサロマ湖100kmウルトラマラソンなどの100kmを走る過酷さに比べたら、1日中、十分なインターバル(休憩)を挟みながら1.4kmを全力で走る事は全然大丈夫。やはり、辛さの耐性が出来ているのは強い。
そして、マラソンは個人で楽しむ競技だが、たまにはこうやってチームで同じ目標を持って同じ苦しみを味わい、同じ達成感・充実感を味わうのも一興だ。
それに、大会側が撮影してくれたハイタッチをしながら走っているこの写真は、今後の良い思い出になりそうだ。

ちなみに、24時間リレーマラソンが終わって、舞洲スポーツアイランドから舞洲を出る際、この日、高校野球の大阪大会でノーシード故に緒戦から実現した「大阪桐蔭vs履正社」の事実上の決勝カードを観戦するための自動車で舞洲に来るための道路は大渋滞で、舞洲は大変なことになっていた。