高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 村岡ダブルフルウルトラランニング:九死に一生、制限時間ギリギリ完走!

9月26日日曜日、「村岡ダブルフルウルトラランニング」当日。
朝5時のスタートに向けて、ハチ北高原スキー場の民宿からツアーバスでスタート地点の村岡小学校へ移動。
初出場なので、勝手が分からず、慌ただしい中にスタートを迎えた。
朝5時なので、まだ真っ暗。そんな中にたくさんのウルトラランナーが蠢いていて、異様な興奮と雰囲気の中にスタート!
長く、そして苦しい100km、そして自分との闘いが始まった。


最初の数kmは香美町内を1周。町民の方々が軒先に提灯を飾っていてくれて、幻想的な雰囲気の中で「いってらっしゃい!」と見送ってくれた。

香美町内を走り終えて、スタート地点に戻ってくると、いきなり登り坂。
「たった数kmしか走っていないのに、いきなりコレかぁ」と分かっていたものの、気持ちが萎えながら、スタートしたばかりなので、走って登った。
夜が明け始め、下を見下ろすとスゴイ登り坂。10kmも走っていないのに、序盤からこの登り坂とは先が思いやられる。

ただ、そんな山道から見えるのどかな風景は、都会の喧騒から離れた非日常を体感出来て癒された。

ひとつめの登り坂を終えて、兎和野高原のエイドステーションでは、これまで出場したマラソンでは初めてのヤクルトの提供が。これは珍しい。疲れた身体にこの濃さはとても美味しかった。

この先の私設エイドでは、ピザの提供も。ピザは大好きだけど、さすがに10km程しか走っていないので、食べるのは止めておいた。

兎和野高原から更に登って、かつて冬に来た事があるハチ北高原スキー場に到着。

閑散としている雪が無いスキー場を走り、一気に自分達が宿泊していたスキー宿が並ぶ坂を駆け下りる。
スタート前で同じスキー宿に宿泊していた66kmの部のランナー達が我々を応援。
結構急な坂で、調子に乗って駆け下りていると、まだ20kmにも満たないところで脚を使ってしまいそうで、控えめに走って下った。


ハチ北高原の坂道を下った後は、しばしフラットな田舎道を走って、福岡という集落に。ここは66kmの部のスタート地点だ。66kmの部のランナーがスタート前で待機していて、みんなとハイタッチ。元気づけられた。

集落を過ぎると、早速、2つ目の坂道が。さすがにここはあまりにも急な坂道で走る事が出来なかった。
ここではこの大会の名物のひとつであるおばあちゃんの手作りの貝殻のお守りがあると聞いていて、楽しみにしていた。数に限りがあると聞いていたけど、何とか手に入れられて良かった。
どの方がその名物のおばあちゃんなのかが分からず、後ろ姿だけ写せた。

御苦労様です。又来年も是非お越し下さい。

温かいメッセージだ。これは良い記念になる。来年出場するかどうかは分からないけど、今年DNF(リタイア)して、来年リベンジで戻ってくる事が無いようにしたいものだと意気込む。

2つ目の坂道は急だけど、距離が短かったので、それほど苦労なくクリアして、一気に駆け下りる。


坂道を駆け下りた先にはエイドステーション。そこには飲み物はカルピス、食べ物に梨などがあって、他大会に比べてエイドが充実している事を実感。地元の方々が振る舞いだろうか、有り難い。


後から振り返って分かったのだが、ここ33kmから37km辺りまでの約4km程が、100kmを通して唯一のフラットなコース。コースの高低差を見てみても、ここ以外は全てアップダウン。村岡のコースは本当に過酷だというのを再認識した。
フラットなコースで走りやすいものの、ここに来て日が照り始め、暑さが増してきたので、太陽を遮るものが無くて、これはこれでキツかった。
田んぼの畦道、そこには9月のお盆の時期に咲く彼岸花(曼殊沙華)が道沿いで満開。まるで我々ランナーを出迎えて歓迎するためにこの日に咲いてくれたようなこの絶景。走りながらこの素晴らしい光景に感動を覚えた。




フラットなコースは37km迄。このコースで3つ目の坂道である猿尾滝に向かっての往復コース。ここはまだ緩やかな登り坂なので、頑張って走って登った。


猿尾滝を越えたところで40kmの折り返し。

そして、いよいよこの大会の最大の難関、蘇武岳
コースの高低差を見ても、ここが他の登り坂と比べて格段に高低差がある。
スタート前から覚悟していたものの、いざ臨むをあまりの急峻な登り坂で全く走る事ができず、高低差800mの蘇武岳展望台までの約7kmを全歩きだった。
ただ、そんな大変で辛い蘇武岳の登り坂で、ランナーを応援するためにコース沿いに全出場ランナーを応援する立札が。大会側の素晴らしい配慮だ。
「自分の名前はまだかなぁ。」と考えるだけで登るのが楽しくなり、辛さが和らぐ。

登り始めてすぐ、沿道の方がランナー達を笑わせてくれる演出。自分も思わず笑ってしまった。ナイスアイデア

序盤は民家があったものの、本格的な山林に入ってくると、登り坂は更に急峻に。ここは辛かった。でも、周りのランナーも辛そうなのが分かったので、ここはガマンして前へ進む。


登り坂の途中にあるエイドはランナー達のオアシス。

そうこうしているうちに、沿道に自分の立札を発見!立ち止まって休憩がてら、写真を撮った。嬉しいものだ。元気づけられる。


登り坂の終盤で半分の50km到達。頂上まであと1.5km!

そして、ようやく標高1,074mの蘇武岳展望台に到着!ふぅ〜辛かった・・・

そこからの眺望は素晴らしかった。一時の癒しだ。


さて、ここからは得意の下り坂。登り坂を歩いた分、ここで取り返す必要があるので、ペースを上げて駆け下りた。
が、標高1,074mを登ってきただけあって、下り坂も急であり、しかも15km程続くので、なかなか足に来た。
そして、5つ目の和佐父峠に向かう登り坂。距離は短いものの、急峻な登り坂でここも走る事なんてできずに、全歩き。

和佐父峠を登り切った後は、約5km続く更に急な下り坂。いくら下り坂が好きであっても、ここまで急だとかなり足に応えて、ペースがいまいち上がらず。
地上まで下り切った73.3kmポイントの井添は、着替えなどを受け取る事ができるコース中で一番大規模なエイドだった。
ただ、ここまでのアップダウンの連続でさすがに疲労困憊。
そして、時計とここ井添の関門時間を見比べると、何と関門時間まで30分を切っていた。
マジか!手にしていたデジカメでここの写真を撮るのを忘れるくらいに驚愕した。
ここまで登り坂をほぼ歩いてしまった事でこんな事態に・・・
2週間前の「高野龍神スカイラインウルトラマラソン」と全く同じ展開になってしまった。
「自分はまだまだアップダウンが多いコースには対応できていないなぁ」と落ち込んでしまったものの、終わった訳ではないので、携行補給食でエネルギーを注入して再スタート。
残りまだ2つの大きな登り坂があるので、それをクリアして完走できるのか、かなり不安になってきた。
再スタート直後、またもや登り坂を登って、長楽寺という寺内を往復。
写真は撮ったものの、のんびり観光気分はまるで無し。焦りしかなかった。




ここから次の91.2kmの第5関門までの約18kmがこの大会の中で一番辛かった。体力的にはもちろん、精神的にも関門時間に追われている焦りがあって、その辛さはこれまで経験したウルトラマラソンの中でも一番の辛さであった。
長楽寺からあけぼの荘まで向かう坂道では、疲れで胃をやられて気持ち悪くなり、何度も口の中に指を突っ込んで強制的に吐き(何も食べていないのでゲップのみ)、とにかく前に進んだ。
途中、暑いくらいの晴天だったのに、登り坂の途中では雨も降り出してずぶ濡れになり、もう踏んだり蹴ったりの状況。
完走するためにはなりふりを構っていられない状態になってきた。

登り坂が終わる81.1km地点のあけぼの荘に着いた時点で、16時30分。
10km先の第5関門の封鎖時間は17時30分。
あと1時間で10km。いくら下り坂であったとしても、80km過ぎての身体でこれはキツイ。
「諦める」という考えも一瞬浮かんだが、「得意の下り坂だし、ここは第5関門がゴールだと思って、残り10kmを全力で駆け下りよう!第5関門を越えた後の残り9kmのことなんて二の次だ!」と思い、最後の力を振り絞って、下り坂を今までに見られないペースで一気に駆け下りた。
下り坂を終えた後、第5関門迄の約3kmのフラットなコースが続いたが、ここがコースを通して一番辛かった。
「91kmの関門で諦めようかな・・・明日は仕事だし、91km地点を越えられたとしても、帰りのバスに間に合って、今日中に帰阪できるのかな」と、ずっと考えていて、いつ心が折れてもおかしくない状況だった。
第5関門に向かう途中、もう間に合わないと諦めて歩いているランナーがたくさんいた。
自分も「歩こうかな・・・」という気持ちをガマンして、「ここで歩いて間に合わなかったら、一生後悔する!」「苦しみはすぐに消える、諦めた事実は一生残る!」というここぞという極限状態ではいつも心の中で連呼する座右の銘を走繰り返して、走って第5関門を目指した。
そして、第5関門を17時23分、つまり関門封鎖時間の7分前に通過!
良かったぁ〜。ここまでギリギリに関門を通過した事なんて久しくなかったので、ほっとひと安心。こんな極限状態は久し振りで新鮮だった。本当に九死に一生を得た思いだった。少しでもちんたら休んでいたら、間に合わなかった。
後から他のランナーに聞いたら、ここ第5関門でDNFになるランナーが一番多いとのこと。本当に良かった。

残り9kmを1時間30分で走ればゴールなので、少し安心。
と言いたいところだが、最後の登り坂、一二(ほに)峠がランナーを待っていた。
最後の最後でこの急峻な登り坂。大会側はどこまでドSなんだろう、と心の中で嘆いた。
峠越えをしているうちに日も暮れて真っ暗に。トボトボと歩みを止めずに登って、18時20分頃に一二峠の頂上、95.5km地点に到着。

4.5kmを残り40分、しかも後は下り坂のみ!これはゴールできる!と確信。
第5関門迄に地獄を経験していた為、この確信を得た時、天にも上ったような気持ちで思わず笑顔になった。
登り坂で温存していた事もあって、足はまだ残っているので、峠頂上のエイドでしっかりストレッチをして、最後の力を振り絞って、95km走った脚とは思えないペースで一気に下り坂を駆け下りた。
そして、眼前にゴールの村岡小学校が見えてきた!
テンションが上がっていて、写真もブレブレで何の写真かが分からない。

村岡小学校の中は途中から降り出した雨で泥だらけ。ただ、そんな事は辛かったここまでの道中に比べれば、どうでもいい事だった。

そして、無事、ゴール!




ゴール会場は、雨は降るわ、地面はぐちゃぐちゃだわで悲惨な状況に。地獄を味わったレースで達成感に浸るのも束の間、すぐに着替えに向かう事にした。

その途中、完走制限時間の19時になって、雨の中に花火が上がった。

体育館で慌てて着替えて、19時30分発の新大阪駅行きのバスに何とか乗る事ができて、無事、帰阪できた。
当初、19時発のバスを予約していたのを、直前になって19時30分に変更してもらったのは、大変賢明な判断だった。19時発のバスで帰るなんて奢り過ぎだ。
バスに乗ってひと眠りしたものの、過酷なレースで胃がやられていたこともあって、その嘔気がバス車内でも続いて、途中のサービスエリアで催してしまう始末だった(朝から何も食べていないのでゲップのみ)。これまでのレースの中で一番胃のダメージが大きく、その日は結局、何も食べられなかった。
そんな状態であっても、完走できたという事実があるので、嘔気も筋肉痛も自分に克った勲章のひとつだ。

「村岡ダブルフルウルトラランニング」は、100kmを通してアップダウンしかなく、7つの峠&山越えで、ウルトラでは日本一の総標高差2,550mの超難関コース。
「日本屈指の山岳ウルトラ」という冠が付いていて、「東の野辺山、西の村岡」「西の横綱」とウルトラランナーの間で言われている噂はどれ程のものかと思ったが、その過酷さたるや、伊達ではなかった。
ウルトラマラソンを完走できるようになってきた自分の自信と奢りをへし折られた。
こういう難コースとなると、登りは全歩き、少しだけあるフラットなコースと下りだけしか走る事しかできず、登りも走っていて元気だった前半に稼いだ貯金は後半にあっという間に食い潰し、最後の91kmの関門をギリギリ7分前に通過という奇跡。このギリギリ関門通過は、今後のランナー人生の中で自分の伝説になりそうだ。
何とか91kmの関門に辿り着いた後、残り9kmで最後の一二峠越えといういじめのようなコース。
最後4km続く下り坂で挽回して、完走タイムは13時間47分と、制限時間(14時間)ギリギリのタイム。
でも、今回、こんな過酷なコースである事を全く知らず、無謀にも100kmにいきなり初挑戦して、何とか完走率55.1%で過去最低であったこのレースを完走する事が出来た。
道中、散々な展開だったが、過酷コースに耐えられた走力と制限時間ギリギリであっても諦めなかった、心が折れなかった精神力の自分に自信がついた。


100km完走者には、2017年の第20回大会で新設される「勇者の道(120km)」に挑戦できるため、スタート前はあわよくば来年はそちらに挑戦しようと思っていたが、こんな制限時間ギリギリに完走した程度の走力ではあまりに無謀。
100km走った後、同じ制限時間14時間で、もう一度、一二峠を往復するなんて絶対無理。
もう二度とあのコースは走りたくない。
あのコースと苦しみを思い出すと吐きそうになる。
「勇者の道(120km)」への挑戦を早々に諦めることにした。
このコースで120kmを14時間で走る事ができるランナーは、確かに本当の「勇者」だ。このコースを経験した者こそがそれを実感できる。