高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 みちのく津軽ジャーニーラン完走記3:眠気と闘いながら、無事、263kmを完走!

2018年7月15日日曜日、2日目に突入した「みちのく津軽ジャーニーラン」。

  • ふれあい文庫(7/15 15:01 139.2km)、道の駅たいらだて(7/15 18:14 158.6km)、ふるさと体験館(7/15 22:14 178.4km)

龍飛崎に到着して、津軽半島の北岸・東岸の交通量が多い道路沿いをひた走る。
この辺りになってくると同じペースで走っているランナーは限られてくるので、追いつく度にしゃべりながら走った。
特に今別町にあるエイドの第7チェックポイントのふれあい文庫へ行くための道は間違えやすいので、初出場の自分は同じペースのランナーに教えて頂きながら走った。
ふれあい文庫を出た後は、同じペースであったオオニシさんとオオウチさんと協走させて頂いた。
3人でしゃべりながら走っていると、オオニシさんは川の道やUTMF、オオウチさんも昨年の250kmの部も完走されており、その他にも数々のご実績を持たれており、自分がこの位置にいて一緒に走っていて良いのかが至極不安になった。
オオウチさんとは今年3月の小江戸大江戸200kでも、大江戸コースのスタート直後にも一時協走していた事を思い出し、凄い偶然に驚いた。
変態超ウルトラランナーは少ないので、こうやって各地で開催されるウルトラで出会う事になるから面白い。
海岸線沿いのいくつかの集落を3人で共走して越えていき、第8チェックポイントの道の駅たいらだてに到着。
ここからも引き続き東岸沿いを3人で南下。
まだまだ先は長いので、3人共、無理はせず、時折、歩きも混ぜながら前へ進む。
でも、歩いていると両足の大腿部の前側に負担がかかって張ってきた。
これは歩きだと接地面が大きく、接地時間も長いからだと気づく。
なので、歩くのであれば、ゆっくりでも走っていた方が良い事を知り、極力走るようにした。
これは新たな気づきだった。超ウルトラマラソンでは、歩き続ける事は一時は楽なのだが、それをずっと続ける事は先々を考えるととても危険だ。
そして、周囲も真っ暗になり、2日目の夜になった。
真夜中ランの経験はあるが、それが2晩に亘るのは初体験。
何事も無く、順調にこの初体験を乗り越えられるかと思いきや、レストポイントのふれあい体験館に行くための曲がり角が近づいてきた時、その交差点はどこなのかを探すためにお二人と離れた瞬間、急に眠気がやって来て、走りながら寝落ちしてしまったようだ。
ふと目が覚めた頃にはお二人ともはぐれ、真っ暗な道路にポツンと1人。
この時、完全に寝ぼけていて「自分は何をしているんだろう、どこに向かっているんだろう」とワケが分からず、フラフラしてコースを逆走していたところを、龍飛崎で写真を撮り合ったヒラタさんにお声を掛けて頂いて我に帰り、第2レストステーションのふれあい体験館に行くための曲がり角を教えて頂けて、22時過ぎに何とか辿り着く事が出来た。

ここまでとても順調に来ていたのに、恐ろしい体験をした。
急にやって来た眠気に襲われ、かなり危ない状態だった。
後半の津軽半島の海岸線沿いのコースになって以来、この土地には絶対に来た事はないのに、「何かこのコースとこの状況、過去にあった事があるような気がするなぁ・・・」とデジャブ感が消えなかったが、あれは眠気の始まりだったようだ。
そして、寝落ちする直前には、港沿いの町に置いてあるたくさんの丸いブイが人の顔に見えてきた。幻覚だ。
寝ていないという極限状態だと走りながらでも意識がなくなる眠気の恐ろしさを身をもって体験して、ゾッとした。
これは本当にヤバイ状態に陥っていると判断して、ふれあい会館では荷物を受け取ってすぐに仮眠を取る事にした。
30分程度寝るハズがあまりの眠さに結局2時間の仮眠をして、その後、食事と準備で結局3時間滞在する事態に陥ってしまった。
この眠気こそが初200kmオーバー&2晩越えの洗礼だ・・・と溜め息。
3時間もロスしてしまって、果たしてゴールできるのかが不安になり、続けるのを諦めた方がいいかと思ったが、周りのランナーは諦めずにスタートしていたし、自分も足はまだ残っているので、ここに来るまでに同じペースであった方々はもはやスタートしていたが、午前1時にふるさと体験館を再スタート。
ここまで特に撮るべき被写体も無く、自分にそんな余裕も無く、夜だったこともあって、ほとんど写真無し。

  • 総合文化センターパルナス(7/16 5:53 204.2km)

かなり順調に進んでいたのに、ふるさと体験館に約3時間も滞在してしまって一気に時間的余裕が無くなってしまい、真っ暗な中にやまなみラインをひた走って走って内陸部へ。
3時間の仮眠では眠気がまだとれておらずに、真っ暗な中を走っているとボーっとし始め、堪らずやまなみトンネルを過ぎた後のベンチで10分程度の仮眠を強いられた。
ハッと目覚めた後、近くにあった公衆トイレで顔を洗い、再スタート。
眠気だけで足は残っているので、寝て回復した分、ペースを上げて下り坂を駆け下り、国道388号線と交わる188kmの部のランナーとの合流地点に到着。
ただ、走れども走れどもなかなか次のエイドのパルナスが見えてこない状況に、何故か自分は終始イライラして周りのランナーに何度も「パルナス、まだですか?」と聞いてしまったり、どうやってここまで来たかの記憶が一部ない、という眠気の弊害として冷静さや判断力の欠落が見られたので、パルナスでも1時間仮眠する事にした。
そのおかげで目覚めた時には頭がスッキリ。
時間をたくさん使ってしまったが、気分良く再スタートする事が出来た。
眠気の影響が計り知れない。ここまでとは。眠気は最大の敵だ。

  • 金木町観光物産館(7/16 8:00 212.1km)、五所川原市街、道の駅つるた(7/16 12:11 231.4km)

パルナスから金木に向かう途中、シュズイさんとヤマモトさんと共に3人で金木町観光物産館に向かわせて頂く事にした。
200kmを越えたので、ここはフラットなコースでも歩きを交えながら前へ進むということで、時計を見ながら3分走って1分歩くスタイルで前へ進まれていた。
なるほど、終盤になるとダラダラ歩いてしまいがちだが、この方法であればゆっくりであっても歩くよりは速く前へ進む事ができる。
この方法は、今後のウルトラで真似させて頂こうと思った。
金木町観光物産館を出た後は再びぼっちラン。
交通量が多い五所川原市街地内で久し振りに近代的な街並みを見て走った。
市街地で大量にコンビニがあるので、そのうちのひとつでひと休みしていると、大会スタッフの方々も車で我々を追いながら小休止されていて、「ここまで走って来られるだけスゴイ!」と褒めて頂いて、朝鮮人参のタブレットを戴いて応援してくれた。

3日目の朝になって、陽が昇り始めると、暑さがピークに。
2日目の日中は暑さはマシだったが、3日目の暑さは凄かった。
コンビニではシャーベットで暑さを凌ぐ。

五所川原市内では、秋田名物のはずのババヘラアイスをおばあちゃんが150円で売っていたので購入。
もうこの暑さのピークの時間帯を乗り切るためであれば、何をしたって構わない。
コンビニを見掛けては立ち寄って、冷凍されているペットボトルを購入して、首筋などを冷やし、ロックアイスを買って帽子の中にアイスを入れたりして乗り越えた。


五所川原市街地を過ぎた後は、最後の難関と噂に聞いていた国道339号バイパス沿いの日陰が無いコース。
殺風景な延々と続く歩道は、ちょうどここに来たタイミングが直射日光を浴びて一番暑くて、まさに灼熱地獄だった。
このまま歩いていたら熱中症になりそうだったので、途中、コースを外れて小さな森の木陰に座って10分間だけひと眠り。
延々と続く歩道を早歩きで進んで、後半、ペースが同じだったムロヤさんと一緒に歩きながら、苦しみを共有しながら道の駅つるたに到着。
もう暑過ぎて、出場ランナー同士で笑いながら苦しみを共有。
この国道から眺める岩木山の姿は素晴らしかったが、暑さで愛でる余裕無し。
この辺りは、暑さ&眠気で疲れがピークで、相変わらず冷静な判断が出来ておらず、途中の歩道で急に座り込んで後続のランナーに心配されたり、今思えば行動がおかしかった。

  • スポーツプラザ藤崎、黒石・松の湯交流館(7/16 17:15 252.3km)

道の駅つるたを経て、地獄の国道沿いが終わり、スポーツプラザ藤崎のエイドステーションでひと休み。
ここまでずっと道なりだったが、久し振りに右に曲がったところで、本当なら陸橋を渡らないといけないのに、陸橋の側道をまっすぐ行ってしまい、ロストしてしまって時間をロスしてしまった。
もう疲れと眠気と暑さで冷静に地図を見る余裕が無くなってしまっていた。
自分に全然余裕が無い事を認識したので、地図を見る負担を少しでも減らそうと、前におられたムラカミさんとコオリヤマさんに声を掛けて、一緒に走らせて頂く事にした。
かなり遅いペースで喋りながら、皆さんについていき、何とか黒石の松の湯交流館に到着。
ここで食べた黒石名物の「つゆ焼きそば」とシャーベットがかなり美味しくて、再びやって来た眠気でボーッとしていたが生き返った。

250kmを越えても何とか走れているのが奇跡だった。
200kmを過ぎてから痛み始めた靴擦れが痛くてたまらなかった。
どれだけベストフィットのadidasのultra boostでも200km以上走れば靴擦れにもなる。
最後のエイドである田舎館役場に到着。
2014年に弘前・白神アップルマラソンでに来た時、前日のプチ観光でレンタカーでここに来て、名物の田んぼアートを見て楽しんだのを思い出した。
残念ながら、今回は田んぼアートを楽しむ余裕も時間も無かった。

あとはゴールを目指すのみ。
なのに、田舎館役場を過ぎてもなかなか現れないゴールにまたイライラ。
ゴール直前になって眠気がまたやって来て冷静さが完全に欠如していた。
満身創痍の疲労困憊な状態の中、ようやくさくら野百貨店が見えてきて、2018年7月16日19時23分、263.1kmを無事完走!!!!!


靴擦れを負った右足裏を庇いながら、併設されているホテルリコルソの大広間で着替えて温泉に入り、タクシーで弘前市内のホテルに向かった後は、部屋に入った直後にベットへダイブしてあまりの眠気と疲れでバタンキューだった。
ゴール直前には、感動的なゴールシーンの写真を撮ろうなんていう余裕は全く無かったが、後日、大会側に共有して頂いたゴール時の写真。
263kmの闘いを無事完走という形で終えられたものの、とにかくこの時は疲れと眠気で全く余裕が無く、ほっとひと安心している瞬間。

7月14日〜16日の3日間に亘って、第3回みちのく津軽ジャーニーランの263kmの部に挑戦し、小江戸大江戸200kで200kmを3年連続完走したという実績しかないのにいきなり263kmに挑戦した事で、初200kmオーバー&初2晩越えのランの洗礼を全身に受けたものの、道中、協走頂いたランナーや大会スタッフの方々のおかげもあって、50時間もかけて何とか完走する事が出来た。
弘前市をスタートして龍飛崎を越え、半島の海岸線沿いを走って順調に進んで海岸線から内陸部に行く頃に2日目の15日の夜を迎えたが、ここまでは前哨戦。
ここからが本大会の本当の試練だった。
一番の敵は、キツイコースでも、暑さでも、自身のコンディションでも、疲れでもない眠気だった。
第2レストポイントのふるさと体験館の手前で走りながら突然寝落ちしてしまうという事態に陥り、それまで協走していたお二人とはぐれ、気づいた時には寝ぼけていてと真っ暗の中でウロウロする体たらく。
後続のランナーに助けられて何とかふるさと体験館に辿り着けたものの、それが無かったら本当に危うかった。
あまりの眠気で合計3時間も滞在してふるさと体験館を再スタートしたが、その後もこの眠気には苦しめられ、2日夜から3日目は眠気が最大での敵だった。
それに加えて、3日目の日中は懸念していた猛暑にもやられて疲労困憊。
前半の順調さから一転、どんどん崩れてペースが乱れながらも、何とか制限時間の51時間に間に合ってゴールする事が出来た。
このクレイジーな3日間で、急にやって来る冷静さと判断力を奪う眠気の恐ろしさを学べたし、自分以上の歴戦の猛者であるランナーの方々と協走させて頂いた事で自分なんかまだまだである事を思い知らさたと共に、サポートして頂いた大会関係者と協走して頂いたランナーの方々には感謝しきり。
かなり辛いけど、それ以上に自分が求めていた刺激と学びと楽しさがここにはあった。
完走直後には「もう2度走らない!」と思っていたけど、数日後には「また来年も来ようかな」「あの後半の眠気による崩れを克服して、48時間以内にはゴールしたい!」などと思うようになり、また一歩、ド変態の道を進ませてもらう事になった。
良い学びがあり、充実した3日間だった。


 みちのく津軽ジャーニーラン完走記2:自分の脚だけで龍飛崎まで到達!

2018年7月14日土曜日、みちのく津軽ジャーニーランのスタート。
弘前公園東門を200名の変態(良い意味で)ランナーが出発。

  • 嶽温泉(7/14 19:27 19.4km)、鰺ヶ沢日本海拠点館(7/14 23:04 46.3km)

弘前市を出てぞろぞろと岩木山を見ながらのラン。



岩木山の麓の登りを走り、第1チェックポイントの嶽温泉に到着。


ここを過ぎるとすっかり夜が更け、真っ暗な山道を下って日本海側の鰺ヶ沢町にある日本海拠点館へ到着。
最初のアップダウンを無事越えたものの、この真っ暗な山道の途中で急にヘッドランプがつかなくなり、予備で持っておいた手持ちの小型ライトでのランを余儀なくされた。
弘前市を出て久し振りに見た鰺ヶ沢町内のコンビニで電池を入れ替えたところ、依然としてライトが付かず。
序盤からライトトラブルとは先が思いやられる。
時間のロスなので、諦めて小型ライトでのランに切り替え。
途中、有名な「わさお」がいる七里長浜きくや商店の前を真っ暗な中に通過。

国道101号線沿いを走って、ローソンがあるところで左折して県道12号線に入る。
事前調査ではここからはコンビニがほとんどないので、みんなコンビニをエイドと思って必ず寄る。

  • 亀ヶ岡遺跡(7/15 2:06 64.6km)、十三湖、鰊御殿(7/15 6:04 92.4km)

鰺ヶ沢町の県道12号のローソンを出た後は、延々と北上して津軽半島の最北端である龍飛崎を目指す事になることを覚悟した。
何にもない殺風景な一直線の県道を走っていると、昨年250kmの部を完走されたムトウさんや200kmの部を完走されたクドウさんに話し掛けて頂き、退屈で辛い県道を楽しくしゃべりながら亀ヶ岡遺跡まで走らせて頂き、一時、辛さも忘れられた。
遮光器土偶の像が立つ亀ヶ岡遺跡にある第3チェックポイントに到着。

ここからは再び深夜のぼっちラン。
見知らぬ土地で誰もいない真っ暗な道を寂しく一人で走り、前にランナーがいる事を見掛けては安心して快調に黙々とひとりで走った。
そして、十三湖の手前で夜が明けた。
広大な平野に広がる田園地帯の向こうにある津軽半島の山地の麓に霧がかかっていて、山々が島のようになっている幻想的な風景に感動を覚えながらゆっくりランニング。とても気持ち良かった。
日本独特のこの時期の理路整然に植えられた稲。こんな広大の水田にこんな事が出来るなんて。日本では当たり前の光景だが、世界から観たら一種のアートだと思う。



十三湖が見えてきて湖畔沿いを進む。十三湖から昇る朝陽に感動。

十三湖に架かる十三湖大橋の上からの日本海側と津軽半島側の眺めが素晴らしかった。
青い海に青い空、最高のコンディションだ。



十三湖を越えると、相変わらず殺風景で何にもない一直線で精神的に応えるコースの連続。
90km過ぎにようやく最初のレストポイントである鰊御殿に到着。
たくさんのランナーが仮眠していて自分もそうしようかと迷ったが、263kmのうちたった90kmを走っただけで仮眠は出来ない。
今は眠くないので、着替えと名物のカレー&津軽漬&筋子だけ頂いて、出発。


  • 龍飛崎(7/15 11:57 123.0km)

陽が昇り始めて暑くなるかと思いきやすぐに隠れてしまって、懸念していた暑さは気にならなかった。
中泊町にある津軽の像記念館前を経由して、龍飛崎へ向かう龍泊ラインへ。


ここは景観も素晴らしく、ランナーやサイクリストにとっては良い練習の場になりそうだ。


ただ、眼前に見えるのは激坂。
その激坂っぷりがハンパなかった。

自分がよく知る大阪の激坂・暗峠につながる国道308号線と同等の坂に疲労困憊。
攻めの早歩きで登るもいつまで続くのかとイライラしてきた。
登っている途中から雲行きが怪しくなってきて風が強くなり、頂上の眺瞰台のエイドにやっと到着した頃には強風が吹いていて大変だった。

坂道を降り始めた頃には通り雨がやって来て、こんな大雨の中を駆け下りているランナーがいてここを登ってくる自動車の運転手は驚いたであろう。
でも、こちらは天然のシャワーを浴びたカンジで気持ち良かった。
坂道が終わって大きな風車を眺めながら走り、龍飛崎へ到着。

コースとしては、龍飛崎まで行って折り返す。

龍飛崎からの眺めは、先程の通り雨をもたらした厚い雨雲により、彼方にある筈の北海道は見られなかった。



有名な階段国道を降りて、第6エイドステーションの龍飛地区コミュニティセンターに到着。




無事、前半の山場を攻略出来た。
バスや自動車、バイクなどで来る話は聞くが、まさか自分の脚だけで龍飛崎に来る事ができるとは。
感動。またひとつ、自分の中での武勇伝、伝説が増えた。
でも、龍飛崎は123km地点であり、ここを越えてもまだあと140kmあるという絶望感。
この頃はまだまだ余裕で、この笑顔であったが・・・

 みちのく津軽ジャーニーラン完走記1:不安しかないスタート前

2018年7月14日土曜日、2018年最大の挑戦になる「みちのく津軽ジャーニーラン」当日。
本当は金曜日に休みをもらって金曜日中に弘前入りし、ゆっくり午後からの本大会の説明会に参加する予定だったのだが、仕事で大きなトラブルが発生したため、13日金曜日のANA便をキャンセル。
青森空港への便は旅割だったので、キャンセル料が¥11,000もかかってしまった。已む無し・・・
結局、7月14日土曜日の朝一の午前6時新大阪駅発で東京に向かい、東北新幹線グリーン車新青森駅に行き、弘前入りする事に。
新大阪駅から新青森駅までは約6時間半にも及ぶ大移動だったが、睡眠不足を少しでも解消するために乗車中ずっと眠っていたので、意外と快適だった。


弘前駅からタクシーで説明会&スタート地点がある弘前市文化センターへ。
弘前市に来るのは、2014年に出場した「弘前・白神アップルマラソン」の時以来。駅や周辺の様子も覚えていて懐かしかった。



弘前は、暑いけど大阪よりはマシな程度だった。17時スタートなら暑さも大丈夫そうだった。
大ホールに着席しての説明会に参加。



説明会が終わった数時間後にスタートするスタイルは萩往還と同じだが、遠方からの移動でこれからの長い長い闘いに向けての準備が全然出来ていなかったので、説明会最後の津軽三味線の演奏は聴かずに会場外で準備。
初出場故に段取りが分かっていないので、ドタバタの中にGREGORYのRUFAS8に闘いに必要な携行補給食やソフトフリスク、地図などを詰め込んで、17時前にスタート地点の弘前公園東門前へ移動。
2018年7月14日から17日の三連休にかけて開催される「みちのく津軽ジャーニーラン」。
第1回大会は200km、第2回大会は250km・200km、そして第3回となる本大会では263km・188kmと毎年コースと距離が異なるクレイジーな本大会。
自分のようにいきなり263kmの部に挑戦するバカな輩は少なく、ほとんどがリピーター。
スタート直前の弘前城前では、運営協力している武蔵ウルトラマラソンクラブのメンバーを中心に変態ランナーさん達の同窓会のような盛り上がりだった。



本当なら毎年7月のこの3連休は、恒例になっていた大阪・舞洲で開催される24時間リレーマラソンにチームの方々と一緒に出場していた。
ただ、これまでの数多くのウルトラマラソンなどの経験から24時間をリレーで繋いで走り続け、合計では20km程しか走らないこの大会をキツイと思わなくなり、刺激もほとんど無くなってしまった。
そんな中にビワイチで知り合った超ウルトラランナーのミズカイさんに誘われた本大会。
どちらに出場するかをかなり迷ったものの、5月の最後の萩往還250kmにクリック合戦に敗れてエントリーできなかった失意の自分にとって、今年最大の挑戦の場としては最適と判断してエントリーしたら、意外にも萩往還などで250kmに挑戦した事もないのに、自分の小江戸大江戸200kで3年連続の完走という実績でも出場が決定してしまった。
(残念ながら、誘って頂いたミズカイさんは西日本豪雨による仕事への影響で関西に居なくてはならず、DNSになってしまったが・・・)
3カ月間で5本のウルトラを完走且つ直前のサロマでの満足のいく結果を得られて絶好調ではあるものの、いきなり263kmに挑戦する事になり、さすがに不安しかなく、ここ数日は生きた心地がしなかった。
果たしてどんな地獄が待っているのかと思いながら、いよいよ初めての200kmオーバー&2晩越えのレースがスタート!

 ウィンブルドンテニス2018回顧録

2018年7月2日より始まった2018年のウィンブルドンテニス。
復活を目指す錦織圭選手は、キリオスやグルビスを倒して準々決勝に進むも立ち塞がるは、ビッグ4の高い壁・ノバク・ジョコヴィッチ。
苦手な相手と言っても過言ではない程に負け続け、最後に勝ったのは2014年の全米オープンテニスで準優勝の快挙を成し遂げた際の準決勝まで遡る。
今回も第2セットはもぎ取ったものの、完敗。ここまでは来るのだが、まだまだビッグ4の壁は高い。



先日、ユニクロのジョコヴィッチとのスポンサー契約が切れて、ジョコヴィッチはラコステと新たにスポンサー契約を結んだが、本大会からユニクロフェデラーとスポンサー契約。
レジェンドのフェデラーユニクロのウェアを着ている姿は、とても新鮮だった。
錦織選手とのユニクロ対決が今後楽しみだ。

そんな芝の王者のフェデラーを準々決勝で倒したのが南アフリカのケビン・アンダーソンが決勝まで上がって来た。最近絶好調でスゴイ。が、そんな絶好調のアンダーソンを一蹴したのが、準決勝でラファエル・ナダルとの激戦を制したジョコヴィッチが寄せ付けずに優勝。


さすが。ジョコヴィッチの完全復活。これは高い壁の復活で、当分、グランドスラムでの錦織選手の快挙の再現は難しそうだ。

 「みちのく津軽ジャーニーラン」の263kmのコースに驚愕

2018年7月7日土曜日。
ジムでトレッドミルで走りながら読んでいたターザンの高木美帆の美しさに驚いた。
オリンピック中のノーメイクももちろん可愛かったが、メイクをしたら更に可愛いい。
しばし見とれてしまって、ついその後に行った紀伊国屋書店で購入してしまった。
この写真は眼福に預かる写真であり、目の保養になる。


2018年7月8日日曜日、2018年最大の挑戦となる「みちのく津軽ジャーニーラン」前の最後の週末。
月火は朝イチで東京本社出張に、来週末は大変なので、毎週の日曜日の早朝ランニングは止めて、最後のダラダラ。
夜に先週溜まった仕事を終えた後に大阪城公園ナイトランニング。
この週末は西日本豪雨による被害で大変な地域がある中に、何事もなく、このように走っていられる自分の幸せさを痛感。
西日本の大雨特別警報が出ている地域のことを思うと、来週が大変なんて言ってられない。
しかし、「みちのく津軽ジャーニーラン」の263kmのコースを見て驚愕。
まずコンビニがほとんどないし、津津軽半島の海岸沿いなど延々と続く一本道コースが多過ぎ。
しかも、7月で大嫌いな暑さもあるし、さすがにビビり始めた。
果たしてどんな地獄が待っているのか。
今回ばかりは楽しみなんていう悠長な事は言っていられない怖さと不安がずっとある。
久し振りのの大挑戦に緊張しかない。
直前になって生きた心地がしない。
ここに来る迄に何度か「今の自分の実力ではまだ完走は難しいだろう」とDNS(棄権)をしようかと思ったが、直前になって体調は万全で左臀部の張りも落ち着いているし、ここ3カ月で5本のウルトラマラソンを完走できて、その実績はみちのく津軽ジャーニーランの布石になったし、直前のサロマでは自己ベストに近いタイムで完走できたし、コンディションはベスト。
挑戦するなら今がベストなタイミング。
逃げ出したい気持ちを抱えながら、とりあえず大きな壁に玉砕覚悟でぶつかる!

 「島根ウルトラの神」認定の通知

2018年7月4日水曜日夜の大阪城公園ナイトランニング。
走り始めは大丈夫だったのに、途中から大雨になってきて、最後にはどしゃ降りに。
天然のシャワーを浴びたようで、帰りにコンビニに寄るのが憚れる状況に。
スゴい雨だった。でも、夏のシャワーランは気持ち良い。
この日、帰宅すると、島根県のえびす・だいこくウルトラマラソンの事務局から、「島根ウルトラの神」認定の通知がやって来た。
内容を見ると、9月30日開催弥栄ウルトラマラニックも含めた認定を受けるかどうかの確認の案内のようだ。
もちろん弥栄も走る予定なので、弥栄を含めた4大会を賞状に反映して頂くようにお願いしておいた。
これは9月の完走後が楽しみだ。

 悲しい朝に猛暑ラン

2018年7月1日日曜日の早朝ラン。
悲しい日曜日の朝。
週末という絶好のタイミングで、決勝トーナメントの大注目、アルゼンチンvsフランスとポルトガルvsウルグアイという好カードだったので、朝5時迄、ワールドカップサッカーを観た結果、悲しい結末に。
メッシはフランスの若手のエムベパに、CR7はウルグアイの強力ツートップのスアレスカバーニにやられて、1日で我々サッカーファンが大好きな2人のスターが同日にワールドカップを去る事になった。
年齢的にも30代で今回がピークであろうし、世代交代の波がやって来ている悲しい現実だった。
その為、朝早くは起きられず、9時にランニングスタート。
梅雨が明け、本格的な夏になったこともあり、スタート時から暑くて、走っているうちに殺人的な暑さになってきた。
20kmしか走っていないのに、この暑さでは疲労困憊。
3ヵ月で5回ウルトラマラソンを完走できた体力を持ってしても、全く余裕無し。
7月のみちのくジャーニーはこんな状態で大丈夫か、と甚だ不安になってきた。




 サロマ湖100kmウルトラマラソン:自己ベストに近いタイムで5回目の完走!

2018年6月24日日曜日、5回目になるサロマ湖100kmウルトラマラソン当日。
午前1時過ぎに起きて、北見市のビジネスホテルからツアーバスでスタート地点である湧別町の体育館へ。約1時間の道中、がっつり寝た。
緯度の高いこの辺りは午前4時過ぎにもなると明るくなり、本州のウルトラマラソンと異なり、ライトなどは不要。
午前5時、今年もサロマ湖100kmウルトラマラソンが始まった。
100kmの長い道中、今年はどんなドラマが待っているのか。


スタートからゴールまで雨で激寒だった昨年から一転、前半は曇り空且つ暑さも程々で、正にベストコンディションだった。
目標は、キロ6分、10kmを1時間で最後まで走り続けること。
勝負は後半なので、ここはとにかくキロ6分を維持するために、ペースや心拍数をGPSウォッチを使ってこまめにマネジメント。
5回目になると、コース周辺の景色に真新しいものは何ひとつ無いので、写真はほぼ無し。
42.195km地点にあるモニュメントも今年は無視。その手前では1年振りのサロマ湖を見ながらのランになるが、曇り空で今年もサロマンブルーはお預けだった。

55km地点のホテルグランティアサロマ湖前のレストポイント。
ここまでキロ6分を維持して、10kmを1時間〜1時間2分で収められて、上出来だった。

今年はレストポイントでの滞在時間を短くするため、着替えは無し。
だいぶ体力に余裕を持って順調にここに辿り着けたので、滞在時間は5分にして、ここまで使用した携行補給食のみを補充して、すぐにスタートした。
そのおかげで、50km〜60kmの間も10kmで1時間8分に収められた。

60km以降の魔女の森も順調にクリアし、斎藤商店でのおしぼりなどのおもてなしを受け、民宿サロマニアンで旗を振っての応援を今年も受けて、今年もこの辺りをペースを維持して走られ、疲れてペースが落ちてきたランナーをたくさん抜いた。


69km地点で北海道名物のリボンナポリンを今年もいただく。

70km以降の単調なコースも問題無くクリア。73.8km地点の鶴賀リゾートの後、80km地点の湿地帯コースがキツイ事を知っているので、鶴賀リゾートでしっかりエネルギーを補給して、今年も無事に80kmのワッカ原生花園に到着。

今年は、オホーツク海をバックにした美しいワッカ原生花園を走る事ができるか!?と思いきや、霧に包まれたワッカで残念。
ワッカ原生花園に入った直後はそんな霧模様だったが、急に天候が悪化して、叩きつける程の雨に。
それに加えて、オホーツク海から吹く冷たい風で手がかじかむ程の寒さになり、酷いコンディションになった。昨年のデジャブだった。
防ぐものが何もない吹きっさらしのワッカでは雨と風を全面に受ける事になり、走っていて思わず笑えて来た。

ワッカの片道約9kmの途中にある85kmのエイドに着く頃にはどしゃ降りのピークだった。
エイドの方々も応援の方々もこんな大雨の中に走っている我々を見て心配の顔。
こちらからすれば、こんな大雨にも関わらず支えてくれて有難かった。

そんな状況なので、コース沿いには低体温症になってサバイバルシートにくるまれてガタガタ震えているランナーが続出。
80kmを超えた事で疲れてしまい、歩きが入ってしまうと身体が冷えてしまってああなる。
こうなってしまうと、いくら休んだところでウェアは乾くことは無いので、身体が冷えたままで二度と動けなくなる。
自分は雨や寒い中でのランはむしろ得意だし、「こういうコンディションの時は絶対に歩いてはいけない」という鉄則を把握しているので、何があっても歩く事はせずに前へ走って進んだ。
あまりにも酷いコンディションで苦笑いしながらのラン。

この悪コンディションの中では、第1回から第33回まで連続出場を続ける、ゼッケンNo,1のレジェンドランナーの越智さんもペースダウンのようで、往路で抜かさせて頂いた。とても光栄だった。

雨風の中、順調に走って、ワッカの折り返し地点に到着。
昨年できた折り返し直前の橋の上はとにかく風が強くて、ひどい状況だった。


そんな状況でも、今年もここの名物・エゾスカシユリが例年より開花しているのが少ない気がしたが、たくましく元気に咲いていた。今年も無事見られて良かった。

復路に入って、90km地点に到着。

さて、ここまで来たら残り10km!ラストスパートだ!!・・・と思ったら、またもや最後の最後になって気持ち悪くなり、足は残っているのにゆっくりしか走られない状態になってしまった。
ワッカではランナーがたくさんいて人目があるし、国定公園を汚すのは忍びないので、吐き気を抑えながらの我慢のラン。
ようやくワッカ原生花園が終了!

ワッカ原生花園に繋がる森の中を越えて戻って来た98km地点手前の最後のエイドにて、あまりにも気持ちが悪いので、コースを外れ、指を口の中に突っ込んで、強制嘔吐。
これまでも気持ち悪くなったら何度もこの行為を行ってきたもの、ほとんどはゲップしか出なかったが、今回出てきたのは酸っぱい胃液(呑酸)だった。
疲れで胃が機能しなくなり、胃液が胃に溜まってしまった結果、この気持ち悪さに繋がっていたのであれば、至極合点がいく。
そうか、この気持ち悪さは胃液が原因か。
今後は疲れが出る後半に入る前に胃酸分泌抑制薬を飲んでみよう、と学ぶ事が出来た。
胃液を吐いた事で胃がスッキリしたので、最後の2kmは90kmからのペースダウンが嘘のように飛ばしてラストスパート。


最後のウイニングロードで沿道から「お疲れ様!」と声援を浴びながら角を曲がると、今年も彼方にゴールが見えてきた。

サロマ湖100kmウルトラマラソン、無事、5年連続のゴール!
毎年、サロマのゴール時の写真は写真立てに収めて飾るので、5回目という事もあって、左手で「5」を示してゴール。


100kmの完走タイムは10時間44分。
90kmから飛ばして走ろうと思ったのに、ここのところのウルトラでも出ている胃の気持ち悪さが出て、最後の最後でペースを上げられなかったのが誤算だった。
最後の2kmでラストスパートをかけたものの、2016年のここでの自己ベスト「10時間37分」の更新はならずだった。
でも、2週連続のウルトラの疲れがある中で、こまめなペースと心拍数、エナジーマネジメントで、100kmを通してほぼキロ6分のイーブンペースで走られ、大満足の結果だった。
左臀部痛で不甲斐ないタイム(11時間40分)であった昨年から1時間早いタイムに戻すことが出来、年齢を重ねても身体はまだまだ進化している事を示す事が出来た。

4月奥出雲おろち、5月の野辺山、えびずだいこく、6月の隠岐の島と、ハードなコースのウルトラを走ってきたので、超フラットなサロマのコースは慣れ親しんでいる事もあって、全然辛くなかった。
それに、前半は20年振りに100kmの世界記録が更新される程の適度な暑さ(6時間7分!50kmを3時間って信じられない!)、後半は雨にオホーツク海から吹き荒ぶ風で極寒のコンディションで、正に前半は夏、後半は冬と1日で夏と冬を味わったような経験が出来た。
100kmを何時間もかけて走っていると、コンディションの変化にも適応できる体力と対策が必要だ。
完走メダルも5年連続でゲット!
10万円以上かかる高額ツアー代と2泊3日かかる時間をかけて得られる完走メダルと今年もサロマの100kmを制したという達成感が掛け替えのない戦利品。その価値がある!・・・と信じている。


5回目なのに、今年もまた違ったサロマを体験させてくれて飽きさせない。
2014年から出場し続けて、これでようやく折り返し。
あと5回でサロマンブルー。また来年。

 サロマ湖100kmウルトラマラソン:5回目のサロマに挑む!

2018年6月23日土曜日、5年連続の恒例となったサロマ湖100kmウルトラマラソンへの出場に向けて、伊丹空港へ向かった。
5月の野辺山ウルトラ、えびす・だいこくウルトラに続き、6月も隠岐の島ウルトラの1週間後になってしまった。
2カ月連続で2週連続のウルトラマラソン、100km挑戦というバカげた有り得ない事態になってしまったが、全部出場したいのだから仕方ない。
隠岐の島ウルトラマラソンによる疲れは癒えたものの、走っていれば疲れは出てくるだろうから、今年は100kmの自己ベスト、2016年3月のOSAKA淀川ウルトラマラソンで出した「10時間24分」、2016年6月のサロマ湖100kmウルトラマラソンで出した「10時間38分」の更新は諦めた方が良さそうだが、5回目の完走を目指そうと意気込んで向かった。
東武トップツアーに毎年申し込むのだが、毎年、サロマ湖への行き方が違う。今年は、伊丹空港から新千歳空港へ向かい、そこからはバスで現地入りというコースだった。
新千歳空港では待ち時間があったので、北海道名物のスープカレーを食べて腹ごしらえ。

アーバスに乗って、道東にあるサロマ湖沿いの湧別町の総合体育館で前日受付。
もうお馴染みになったこの垂れ幕。5回目になるので、全然珍しくないけど、写真を撮っておく。

バスが到着したのが15時30分くらいで、16時から湧別町文化センター「さざなみ」で開会式&ウェルカムパーティ―だったので、慌てて会場へ。
同じように毎年出場されている、自分以上に凄い実績を持っていて、最近はトレイルにも挑戦され、UTMF挑戦を目標とされているTさんと会場で再会。近況を報告し合いながら、サロマ湖名物のホタテ貝やそば、地元のもちなどを食べた。このもち、昨年も食べたが、地味な味だが、この中で一番美味しい。

今年のサロマンブルー(本大会を10回完走したランナーに与えられる称号)を与えられたランナー達の授賞式。
あの青いポロシャツがその証。憧れだ。

今年の宿泊先は、一番泊まりたい55km地点のホテルグランティアサロマ湖は今年も休館で(再開するのかな?)、大人気で抽選の鶴賀リゾートは今年も外れ、その次に人気のノーザンアークリゾートは一度泊まってもういいかなと思ったのもあって、北見市内のビジネスホテルだった。
立地は北見駅前だったので、北見駅を少しだけ散策。

北見市といえば、平昌オリンピックで活躍した女子カーリングチーム、ロコソラーレ北見がある。この街で凱旋パレードがされたんだ。


5回目のサロマでの善戦を願って、早めの就寝。

 隠岐の島ウルトラマラソン:川内優輝選手との触れ合い

2018年6月18日月曜日、隠岐の島まで来たら1泊2日で帰阪出来ないので、隠岐の島ウルトラマラソン完走の余韻に浸りながら隠岐プラザホテルでゆっくり宿泊。
復路の隠岐の島西郷港から松江の七郷港に向かうレインボージェットは午後だったので、午前中はせっかく来たので、オプショナルツアーとして隠岐の島ジオパークツアーを申し込んでおいたのだが、急遽キャンセルして、西郷港で開催された川内優輝選手のボストンマラソン優勝報告会に参加した。
昨日の50km完走の疲れは全く見せずに、川内選手をサポートする方々と共に西郷港の一室にやって来て、ボストンマラソンでの奮闘記を語ってくれた。
雨で極寒のコンディションをチャンスと捉え、毎週のように各地のマラソンに出場して培ってきた試合経験と試合巧者振りを生かして優勝を勝ち取った舞台裏を教えてもらえ、意外にも話上手で笑いも交えて我々市民ランナーを楽しませてくれた。
タイムに関しては、公務員業務の時間をトラック練習に費やせば、タイムはまだまだ速くなると断言されていたし、毎月海外レースに出場することで試合経験を積んで試合巧者になり、ボストンマラソンのような勝ち方を覚えたい、と彼の伸び代がまだまだあることを聞けた。
来年、公務員を辞めてプロ転向しても、今の大会での実践練習のスタイルは崩さない、隠岐の島は父方ゆかりの地なので、毎年この大会に出場する、と断言されており、ひと安心。
ただ、我々が熱望する2020年の東京オリンピック挑戦に関しては、暑いのが苦手な事もあって歯切れが悪く、目標にはしていないようで残念。




報告会後には、ボストンマラソンの優勝メダルを片手に我々と記念撮影してくれるファンサービスも。
お疲れだろうし、実業団選手なら練習しているだろうに、我々のために時間を割いてるこのサービス精神と我々との近さが彼が愛される所以だ。

最後、レインボージェットに乗る直前、島民の方々が大漁旗や横断幕を持って、我々を見送り。
そして、レインボージェットが出発すると、その大漁旗を持った若者が全速力で走り始め、走っていけるところまで追いかけてきて我々を見送ってくれた。
その光景に感動を覚えたのは自分だけではなかったようで、多くのランナーが感動していた。




何でこんな事が出来るんだろう。
この大会のリピーターが多く、5年前より人気が出てあっという間にネットエントリーが締め切られる所以が分かったような気がした。
こんな楽しくて感動を与えてくれる大会は類を見ないので、来年以降もエントリーし続けようか。
しかし、そうなると、翌週のサロマ湖100kmウルトラマラソンも毎年出るから、毎年、2週連続ウルトラマラソンに出場しないといけないから悩ましいなぁ・・・
しかも、隠岐の島もサロマ湖も交通の便が悪いから2泊3日はかかり、2週連続で月曜日を休むことになってしまう・・・

 隠岐の島ウルトラマラソン:2回目の完走よりも島民の方々の応援に感動!

2018年6月17日日曜日、隠岐の島ウルトラマラソン当日。
スタート地点の西郷港へは宿泊先の隠岐プラザホテルから徒歩5分もかからないので、朝5時のスタートに向けてゆっくり起床。
準備運動を兼ねて、西郷港をブラブラ散歩。5年前もこの鬼太郎とネズミ男の像を見たな。


夜が明けて空が明るみ始めたところで、島民に見送られながら、地元の少女の号砲により、隠岐の島ウルトラマラソン、スタート!


西郷港の海岸沿いのコースを走っているうちに夜が明けた。隠岐の島の夜明けだ。美しい。

5km手前から早速、登り坂が始まる。
結局、この隠岐の島ウルトラマラソン隠岐の島を1周するので、フラットな集落→アップダウンが多い峠→集落→峠の繰り返しである事は5年前の経験から把握済み。




隠岐の島ウルトラマラソンのコースはアップダウンが多くてキツイ分、島を挙げての一大イベントとして、島民の方々の応援がスゴい。
島のキャパを見込んでエントリー数を抑えていることもあり、ランナーがバラけて、沿道の方々が自分1人だけに目を見て応援してくれる。
皆さん、ゼッケンNo.で名簿から名前を探してくれて、「大木さん、頑張れ!」「大阪の大木さん、遠いところから来てくれてありがとう!」などと声を掛けてくれ、そのお心遣いに涙が出そうになった。



48km地点のレストステーションには10時30分前に到着。
このアップダウンの多いコースの中に、登り坂も走って50kmを5時間台で走られたのは上出来。
レストステーションから50kmの部のスタート地点がある水若酢神社がある辺りを過ぎ、60kmに至る迄は束の間のフラット区間

60kmを過ぎた辺りから5年前に四苦八苦した激坂の峠越え3連発。それを知っていて覚悟していた上に、5年前程の暑さは無かったので、何とか登り坂を攻めの早歩きで登ってクリアできた。

そんな坂道でも登り切った頂上からの日本海の景色は素晴らしくてとても癒された。

60kmを過ぎた辺りから後ろのランナーを気にして、何度も振り返る。
何故ならば、50kmを6時間30分以内に走れば、漏れなく毎年50kmの部に出場の川内優輝選手に抜かれるのがこの大会のハイライトのひとつだからだ。
自分は60km過ぎのコース屈指の激坂の1つ目を歩いて登っている時に、大会側の先導者から川内選手の通過が知らされ、恐らく坂で1番スピードが遅い川内優輝選手に抜かれた。
それでも坂を走っているとは思えないスピードに驚愕。
コース上で同じランナーとして世界レベルの走りを体感出来るのはこの大会だけで、とても貴重な経験が出来た。


2つの峠を越えて70kmの手前では、島民の方々が宴会をしながら我々を応援。良い気なもんだ笑

本大会は、大会側が準備するエイド以外にも私設エイドがとにかくたくさんある。
それらのおもてなしを無下には出来ないと全部応えていたら、ついつい飲み過ぎてしまって、疲れた胃のキャパがオーバーし、2回も強制リバースする羽目に笑
3つの峠を越えた75km辺りからはアップダウンが控えめなコースが続く。
90km地点で隠岐の島は1周するのだが、残り10kmは隠岐世界ジオパーク空港の方へ廻り道。緩やかな登り坂が続き、最後の頑張りだ。
95kmを過ぎた最後の急峻な坂道を歩いて登っているところで「おかえりなさい」の横断幕に、島民の方々による「よく頑張ったねぇ。大変だったでしょう。」の労いの御言葉が嬉しかった。

最後の下り坂を駆け下りると、赤い橋が見えてきた!
あれを越えれば、ゴールのレインボーアリーナは目と鼻の先。

もう1km手前ともなると、沿道でたくさんの応援で応えるのが大変。
皆さん、名前で応援してくれる上に、「大木さん、お疲れ様!」など声を揃えて応援してくれるので、もう涙が出そうになった。

99.9km地点にある最後の坂、虹見坂を登った先がゴール!





完走タイムは、12時間33分。
後半の登り坂は走る事が出来なくて不甲斐なかったが、5年前は14時間もかかっていたので、かなりの成長が見られて良かった。

そして、2回目の隠岐の島ウルトラマラソンの完走以上に感動したのは、島民の方々の応援の素晴らしさ。
そのお陰で、とても楽しい12時間を過ごす事が出来た。
盛大な応援をして頂けた島民の方々へは感謝の気持ちしかなく、沿道で応援を受ける度にその気持ちを伝えて、何だか1年分の「ありがとう」をこの日1日で伝えたような気がした。
5年振りに出場して、何て心温まる大会なんだろうと再認識。
数多くウルトラマラソンに出てきたが、ここのホスピタリティは一番かも。
しかも、島根県で開催されるウルトラマラソン3本を予定通り完走する事が出来て、「島根ウルトラの神」受賞決定!

 隠岐の島ウルトラマラソン:5年振りに隠岐の島へ

2018年6月16日土曜日、島根県でのウルトラマラソン3戦目として、隠岐の島ウルトラマラソンに出場するために5年振りに隠岐の島へ。
本大会にエントリーしようとしたら、あっという間にネットエントリーが締め切られ、慌てて郵便振替でエントリーしたら、後から郵便振替は島民のみであった事を知り、大会事務局に問い合わせたところ、特別にエントリーして頂けて、この日に至る事が出来た。
5年前に出場した時はここまで人気は無かったような気がするが、この5年で相当の人気が出たようだ。
4月の奥出雲おろち、5月のえびすだいこくと3ヵ月連続での島根県なので、お馴染みのルート、新大阪から岡山、岡山から特急やくもで鳥取県米子駅で下車。
ツアーなので、多くのランナー達と米子駅前からバスで隠岐の島への高速船に乗るために境港へ。

高速船の出発までに時間があったので、3回目になる境港の水木しげるロードを少しだけ散策。
入り口には世界妖怪会議の看板が。
これは懐かしい。小さい頃、ゲゲゲの鬼太郎にハマってたくさんの単行本を持っており、毎週土曜日の18時30分からの放送を楽しみにしていたのを思い出す。
後半では世界に飛び出して世界各国の妖怪と対峙するストーリーであった事を思い出した。
鬼太郎にとっての最大の敵であるバックベアードがいる・・・

鬼太郎とネズミ男銅像を発見。
これよりももうちょっと先に水木しげる記念館があって、中には水木しげるさんが壁に落書きした鬼太郎の絵などがあったりするのだが、見に行くのには時間が少なくて諦めた。




鬼太郎列車ではなく、これはこなきじじ&砂かけ婆列車だ。

時間を潰し終わって、いざ隠岐の島へ。高速船のレインボージェットだ。5年前と同じ。
高速船だと1時間半もしないうちに隠岐の島の西郷港へ到着。


西郷港から大会側が運行している周回バスに乗って、レインボーアリーナへ。5年前の記憶が蘇った。
前日受付終了後は、周回バスに乗って、5年前と同じ隠岐プラザホテルへチェックインして荷物を置いた。
部屋で相部屋の方々とゆっくりした後は、前夜祭参加のために再びレインボーアリーナへ。
隠岐の島産のトビウオの揚げ団子がとても美味しかった。


そして、待ちに待ったこの前夜祭のメインイベント、父方が隠岐の島の方である事を所以に毎年、隠岐の島ウルトラマラソンの50kmの部に出場されている、川内優輝選手のトークイベント。


今年は4月のボストンマラソン優勝という快挙を達成した際のメダルを自分達に見せてくれた。


前夜祭の最後には川内選手と共に、明日の健闘を願ってみんなでエイエイオー。
5年前にも来ておられ、毎年出場するだけではなく、前夜祭にも来場してのファンサービス。
これだけのことをしてくれても、あれだけの速さと終盤の粘り強さで我々に感動を与えてくれる。
何て素晴らしい選手だろう。来年からのプロ転向により、最後の飛躍を見てみたいものだ。


レインボーアリーナでは、隠岐の島の雑貨品を売るお店が出店していた。
よく考えたら、隠岐の島のローマ字表記「OKI」は、大木のローマ字表記「OKI」と同じ事に気付いた。
「RUN OKI」と書いてあるステッカーは、「走れ、隠岐」の他、「走れ、大木」とも読み取れるので、つい記念にステッカーを購入。これも何かの縁だな。

前夜祭が終わった後は、ホテルに戻って夕食を食べて温泉でゆっくりして、やる事が無いので、5年振り2回目となる隠岐の島マラソンを楽しみに早めの就寝。

 ワールドカップで大興奮の1カ月間

2018年6月14日開幕のワールドカップサッカーは、サッカー好きにとって大興奮の毎日だった。
自分の中では、2日目のBグループ第1戦のスペインvsポルトガルが全試合を通して一番興奮した試合だった。
その理由も大好きなクリスティアーノ・ロナウド(CR7)が大活躍した試合だったから。
点を取ったら取り返すという目が離せない展開。
ポルトガルを応援している自分にとって、2-3の負けている状況でのCR7の絶妙なフリーキックが決まった時には震えた。
このFKを蹴る前の精悍でマジな顔。
この試合にかけているのが分かる。
クラブのリーグ戦や親善試合などとは異なり、こういう世界最高峰の選手が本気になっている瞬間が観られるのがワールドカップの醍醐味のひとつ。





CR7と共に我々の中でのヒーローの1人であるメッシは、なかなか調子が上がらない。
グループリーグでのクロアチア戦で、アルゼンチンは0-3の大敗。
年齢的に恐らく最後のチャンスになるであろう大会で、メッシの落ち込む姿は見たくない。
観覧席のマラドーナのオーバーリアクションは絵になる。



アルゼンチンは、グループリーグ最終戦でメッシがようやく目覚めてナイジェリアを倒して、ギリギリ決勝トーナメント進出。


グループリーグでの1番の衝撃は、前回優勝のドイツのグループリーグ敗退。
グループリーグの突破がかかっている最終戦の韓国戦では、まさかの0-2での敗戦。
終盤まで点が取れず、グループリーグ敗退が決定している大不調の韓国がまさかの先制点。
焦ったドイツは世界最高峰のキーパーであるマヌエル・ノイアーが韓国のゴール前に詰めたところを韓国の選手にボールを取られて、慌ててノイアーがゴールに戻るも無人のゴールに2点目が入り、万事休す。
あの安定感があった絶対王者のドイツがこんな情けない姿を晒した悲劇的な結末に、選手やドイツサポーターと同様に呆然。



ワールドカップのジンクスのひとつ「優勝国は次大会では1次リーグで敗退する」は、ドイツをも食った。このジンクスの的中率、怖過ぎる・・・

我が日本は、第1戦で引き分けで十分と予想されていたコロンビアにまさかの勝利を収めた事で、日本は大盛り上がり。

まさか、日本に負けるとは思っていないコロンビアのサポーターも呆然。

そりゃこんな顔になるわ。

第2戦のセネガル戦も劇的ゴールをあげながらも同点、第3戦のポーランド戦は問題となった、本大会で採用された新ルール、フェアプレーポイント(警告カードの少ない方が勝ち上がり)を狙ってのボール回しで、敗戦しながらも薄氷のグループリーグ突破。
日本は他国に比べたら弱小国・格下なので、どんな手を使ってでも決勝トーナメントに勝ち上がる。
成り振りなんて構っていられない。どんな形であろうが、勝ち上がる。
勝ち上がり方なんて拘ってられないし、目的は目先のポーランドに勝つ事や潔く戦う事ではなく、決勝トーナメントに上がることだ。
私見ながら、泥臭くて日本らしいやり方で自分は「アリ」だと思った。
野球にだって敬遠はあるし、陸上でも予選は流すことだってあるし、少々あからさまだったが。
こういう思いきった作戦ができるようになった日本を誇らしく思う。
世間や世界が何と言おうが構わない。外野の批判なんて無視だ。
セネガルが1点入れる可能性、日本がこの後攻め込んで格上のポーランドから1点を取る可能性、ポーランドに追加点を取られるリスクなどを短時間で試行錯誤した上で、あの究極の決断をした西野監督の勇気を讃えたい。
チームの至上命題を見据えて、今何をすべきかを考え、失敗したら国民から批判を受ける覚悟を持って決断して実行するマネージャーの鏡だと思った。
もしセネガルが点を取って決勝トーナメント進出がならなかったら、どれだけ非難された事か。
多分、高校野球明徳義塾の松井4連続敬遠策で星稜に勝った馬淵監督の如く、今後の日本のサッカー史に刻まれるであろう采配だ。
そして、セネガルのシセ監督の潔さにも感動。
悔しかっただろうに、コメントが機知に富んでいる。
「サッカーのルールだ。我々はイエローカードを多く取ったため資格はなかった。しかし、私は選手たちを誇りに思う。我々はこのグループリーグで頑張った。」




決勝トーナメントに進出したベスト16の国々。結局、ドイツ敗退以外はほぼ順当の勝ち上がり。

決勝トーナメントに進出した相手はベルギー。
若手のタレント揃いで世界中が弱小国・日本の負けを予想していたが、何と前半で2-0のリード。

「これはこのまま日本が勝つのでは!?」と日本人全員が思ったが、この展開がベルギーを本気にさせた。
あっという間にベルギーに2点を取られて、同点。

そして、試合終了直前に、3点目を取られての敗戦。怒涛のような展開だった。
ベスト8進出の快挙まであと一歩だったのに・・・・
下馬評がかなり低かったにも関わらず、日本人に良い夢を見させてもらった。あのベルギーを本気にさせただけでもスゴイこと。
でも、セルジオ越後氏が言っていた「日本は開始直後に退場者が出て10人になったコロンビアに勝っただけで、1勝1分2敗だから、全く善戦ではない。日本は何を盛り上がっているのか。」というコメントにも一理あり。


決勝トーナメントでの展開は、往年のサッカーファンにとっては、世代交代を思わせる悲しい展開だった。
我々のヒーローである、CR7やメッシ、ネイマールも早々に敗退。
メッシは、フランスのエースである21歳のエムベパの活躍で敗退。



メッシが落ち込んで佇む姿。哀愁が漂う。ワールドカップでのメッシはこれで最後か。

大好きなCR7も、ウルグアイスアレスカバーニの強力ツートップの前に敗退。
短パンを捲し上げて、本気でフリーキックを打つCR7。脚の筋肉がスゴイ。

途中で感動的なシーンがあった。
怪我をして歩くことがままならないカバーニに肩を貸してコート外に連れて行くCR7 。
敵同士でありながら、このスポーツマンシップにはあっぱれ。より好きになった。


2016年の欧州選手権(EURO2016)優勝の実績があったものの、敗退して落ち込むCR7。

みんなが優勝を予想していたブラジルも、若手のタレントを揃えたベルギーに敗退。
ネイマールも消えてしまい、世代交代の波だ。

ベスト4の顔ぶれ。一体誰がこの顔ぶれを予想していたのか・・・

決勝は、モドリッチなどの活躍で決勝まで勝ち上がったクロアチアに対して、フランスがエース・エムベパの活躍で圧勝。彼の時代が来たようだ。
いやはや楽しい1ヵ月だった。また4年後。

 大坂マラソン、6年連続当選という奇跡!

2018年6月12日、この日は落ち着いて仕事が出来たので、予定通り、仕事終わりの大阪城公園ナイトランニングが出来た。
それに、仕事中に2018年11月25日開催の大阪マラソンの当選の連絡が来て、かなりテンションが上がった。
当選倍率は東京マラソンに次ぐ約5倍以上はある中に、6年連続当選という奇跡!
どうやら自分は大阪マラソンとはとても縁があるようだ。
これはすばらしい誕生日プレゼントになる!嬉しいなぁ〜。

 大阪城トライアスロンを観戦して感化される

2018年6月10日日曜日の早朝ランニングは、いつも通りの大阪港中央突堤の往復ではなく、大阪城公園で「大阪城トライアスロン」が開催されていることを聞いて、ランニングがてらその大会の模様を観戦しに行くことに切り替え。
最初に中之島公園を1周して、大阪城トライアスロンの舞台となる大阪城公園へ向かった。
普段走り慣れている大阪城公園内は大混雑。
まずは最初のスイムとして、大阪城の外堀を見に行った。
あまり綺麗とは思えない堀で泳ぐ事が出来る事に驚いたと共に、みんな元気に泳いでいて楽しそうだった。


続いて、スイムから出てきた選手達が向かうバイクのトラジションを見に行った。
NHK BSのトライアスロン選手権で何度も観た事があるが、生で見るのは初めて。こうやってロードバイクを置いておくのか。これはトライアスロンをやろうと思ったら、一番準備が大変でお金がかかるのはバイクだなぁと再認識。

そして、お馴染みの噴水広場がロータリーのコースになっていた。


大坂ハーフマラソンの最初のコースにもなっている大阪城公園の東側の一直線のフラットコースが今日はロードバイクのコースに。
この一色線フラットコースはスピードが出て気持ち良さそう!


最後はランを観戦。お馴染みの大阪城公園内のランニングコースの一部と内周コースの入り口を何周もぐるぐる10周。周回コースは楽しくなくて辛そうだ。


外堀で泳ぐ選手達、トランジションから元気良くバイクで飛び出していく選手達、カッコいいトライアスロンスーツで元気に走る選手達を見ると、自分も挑戦してみたくなってきた。
同じコースを周回するのは自分に合わないので、マラソン程はハマらないと思うが、来年のこの大会に挑戦してみようかな。
水泳は得意だから良いとして、バイクの練習ややトライアスロンのグッズを揃えるのが大変だ。
この日は飛騨高山ウルトラマラソンの日だし、頑張っている選手達を見て感化された。
来週末は隠岐の島ウルトラマラソンで自分が頑張る番だ!